親という漢字は『木の上に立って見る』と書きます。
一言に『見る』と言っても、親御さんが野球少年を『見る』時に二つの見方があると思っています。
『見守る』親御さんと
『見張る』親御さん。
この2つの見方についてお話したいと思います。
『見守る』と『見張る』親御さんの一番の違いは、 子供を信じているかどうか・・
だと思うんですね。
この場合の信じるというのは自分の子が
「失敗しないから大丈夫」
と信じているのではありません。
「失敗や挫折をしてもいい」
と思っているのです。
失敗や挫折をしても次に進める子だと信じているのです。
だからこそ子供が挫折する前に親が手を差し伸べたり
口を出してしまえば子供は挫折を知らない人間に育ちます。
挫折を知らない人間だと親が知っているからこそ
子供が挫折から這い上がることに『見張る親』は信用を持てないのです。
ただ『信じる』というのはとても難しい事です。
だから『信じよう』と想う気持ちだけで十分なのだと思います。
その気持ちが『見守る』第一歩です。
『見張る』親御さん。
失敗したらこの子はどうなってしまうだろうと思ってしまいます。
指導者の方に叱られないようにと先回りしてしまいます。
『ほら!挨拶!』
『ほら!大きな声で!』
自分の子供が叱られないよう先に先に見張ってしまいます。
子供が叱られるのを見たくない。
挫折する姿を見たくない。
そういう思いから『見張る』ことを強めてしまいます。
見張ってしまう親御さんは
『失敗させないようにすることが親の役目』
だと思ってしまっています。
見張ってしまう親御さんは『否定』と『強制』の言葉を繰り返していきます。
『そんなことしちゃだめ!』
『言う通りにしなさい!』
この否定と強制を繰り返すと「見張る」を飛び越え
「監視」
になってしまいます。
見守ることによって…
転ぶと子供は痛いということが分かります。
転ばないようにするためにはどうしたらいいかを自分自身で考え始めます。
転んだあと、自分でどう立ち上がるかを自分自身でわかり始めてきます。
普段は見守りながら、大怪我をしそうなときにだけ手を差し伸べるぐらいがちょうどよいのではないでしょうか?
見守られてきたお子さんは、野球を通して失敗や挫折を知ることによって『痛み』を知ることができます。
自分自身で『痛み』を知るからこそ仲間の『痛み』を知ることが出来るのです。
親御さんがしっかり『見守る』ことができていると、
お子さんは自分自身の身を守る
『身守る』
ことを覚えます。
それが『自立』という言葉に近づくのではないでしょうか?
見張りを強めてしまえばしまうほど自立や自主性から遠ざかってしまいます。
指導者や周りの大人から叱られたり、子供が挫折している姿を見ることは親にとって辛いことかもしれません。
ですが、そこにこそ子供にとって「気付きのチャンス」があると思います。
先回りして親御さんが「見張る」ことを続けていけば、
子供が気付くはずだった「気付きのチャンス」の場面を奪っていってしまいます。
親が先回りしないことです。
『見張る』ことをギリギリまで我慢して『見守る』時間を増やしてみませんか?
でも…
この『見守る』ことが親として一番難しいんですよね・・
見守るより見張る方が親にとっては楽ですから。
子供のためをと思っている一言や行動が実は子供の自立を遅めているのかもしれません。
~年中夢球~
小学校に勤めており、野球部の中にも何人か親しいこども達がいるため、管理人さんのブログがとても心に残ります。
スポーツに関してだけでなく、親としてこどもをどう育てるべきなのか、分かりやすい言葉で教えて頂いています。
ありがとうございます。