高校野球を終えた娘が
「野球を終えて人間力って大切だってことがわかった気がする」
こんなことを呟いていました。
こういう事に気がつかせてくれた先生方・仲間・そして野球に感謝の気持ちでいっぱいです。
野球を終えた後に子供たちに何が残るのか・・
少年野球の指導者としてよく考えます。
私は普段、子供に勉強を教えている仕事をしていますが
時に「学歴」ということが全てだという考えの先生をお見かけします。
「学力」という力も立派な才能や努力の結果の一つです。
でも全てではありません。
「野球が上手ければいいんだ」
「頭さえよければいいんだ」
こういう考えのまま子供が将来、社会に出ればきっと壁にぶつかるはずです。
打つ力・投げる力・捕る力・走る力…
それらの力は野球を終えた後には必要ではないものになります。
打つ力や投げる力は「目に見える力」です。
野球を終えて子供たちの今後に必要な力は野球で養った「目に見えない力」なのかもしれません。
その「目に見えない力」が「人間力」と呼ばれている気がします。
気付くとは「気が付く」ということです。
自分の気持ちがあるものに付くものです。
仲間が困っていて助けようと思うことも自分の気持ちが仲間に付くことが出来るかどうかです。
親や指導者の方に「感謝」する気持ちに自分の心が気付けるかどうかです。
全ての『力』はこの気付きの力から生まれるのだと思います。
そして野球を通してこの力が育ってくれたのならこの上嬉しいことはありません。
『野球を楽しく』よよく言われますが本当の楽しさを得るためには厳しい練習があってこそです。
その厳しい練習も含めて『野球は楽しいもの』であると思います。
最後までやり遂げることによって子供たちは『自信』という将来に役立つものを手に入れることが出来ます。
野球に限らず団体スポーツは「チーム」であり、皆、チームの中の一人に属すことになります。
将来、入社したら会社という「チーム」に属します。
やがて結婚し子供が出来たら家族という「チーム」が出来上がります。
人間は一人では生きて行けず必ず何らかの『チーム』に属すことになります。
チームの中には必ず困っている人がいます。
その時に野球で育んだ「仲間を想い遣る力」が役に立つはずです。
野球をしていると様々な場面で「判断をする力」が必要な場面が出てきます。
それは、プレー中であれば、瞬時に、そして自分で判断しなければいけません。
瞬時に自分で判断するためには、普段から自分で考え行動する力=考動力が備わっていなければ出来ません。
大人が全て指示を出したり、手を差し伸べると子供の「考動力」は養えなくなります。
将来、子供達は色々な場面で考え行動しなければいけない場面が出てきます。
野球で養った「考動力」は「判断力」となり将来の役に立つはずです。
野球は一人では出来ません。
一緒に汗を流した仲間やサポートしてくれた親御さんや指導者の方の力があってこそ子供達は野球をやり遂げることが出来ます。
その「謝意を心から感じる」という力を野球を通した選手達は、有難みの本当の意味を知ることが出来ます。
その力は優しさ持った証でもあります。
どの選手にも野球を終える日がやって来ます。
そして、野球を終えてからの人生の方が長いでしょう。
野球を終えてから・・
何か一つでも野球で身に付けた心で感じた力が残ってくれていたら・・
そう思っています。
そして、その「心で感じられることが出来る力』が「人間力』と呼ばれるのだと思います。
~年中夢球~