年野球の現場で・・
こんな事があります。
『飲み物がなくなった人は言ってねー』
休憩時間に子供のそばに行ってお母さんが子供に声を掛けています。
『お箸を忘れた人は言ってねー』
お弁当の時間に子供のそばに行ってお母さんが子供に声を掛けています。
『飲み物がなくなったので持ってきてください!』
ある子がこう言ったのでその子を呼んでお説教をしました。
ですが・・
これは大人側も考えなければいけない問題だと思うんですよね。
お母様に悪気はないと思います。
気を遣ってのお言葉だと思いますが・・
飲み物がなくなれば自分で言ってきます。
お母さんが子供のそばにジャグを持っていき
『飲み物がない人は言ってね』
という必要はありません。
お箸を忘れても同様の事が言えます。
自分の事は自分でする。
自分の事は自分で言う。
これが基本ですよね。
良かれと思っている事でも子供のために与えすぎではないかという事もあります。
大人の言葉の与えすぎ・・
大人の行動の与えすぎ・・
『良かれ』
と思っている事が与えすぎの
『与かれ』
になっていることもあるのではないでしょうか?
与えすぎは子供の成長にはマイナスですが、当の子供にとっては快適なことかもしれません。
自分から何も言わなくても飲み物が出てくる・・
快適すぎて、そこから抜け出せなくなるから、自立心が養われない…
これらの言葉を発しているお母さんに悪気はないでしょう。
しかし…
与えすぎる人というのは「ありがた迷惑」であるケースも多い場合もあります。
「良いことをした」
「相手に気を遣った」
「相手を喜ばせた」
という満足感に浸りたいだけな方もいらっしゃいます。
親の応援で「プレーヤーズファースト」のことを書きました。
その記事はこちらから↓
こういうケースでも同様なことが言えます。
自分の気持ちよりも優先させなければいけないのは子供のことです。
家で子供が親に
「飲み物持ってきて」
「お箸持ってきて」
と言いますか?
もし、可愛さ余りでしてしまっていたら…
それは「子供のため」になっているのでしょうか?
なんでもかんでも身の回りのことをしてあげてしまうことは「サポーター」ではありません。
私は親御さんに
「子供が出来ないことだけをサポートしてあげてください」
そうお願いしています。
学年によって違いはありますが、
グラウンド整備も…
倉庫の片付けも…
子供は出来ます。
少年野球の現場にいると
「大人が手と口を出しすぎ」
ではないかと思う場面が多々あります。
グラウンド整備も倉庫の片付けも…
大人がやったほうが早いに決まっています。
ですが、時間がかかっても
「子供が出来ること」です。
飲み物がなくなったり、お箸を忘れても…
自分から言うことを待ってあげることがまずは大切ではないでしょうか?
大人が手や口を出したから早いのではなく…
何でもかんでも『助け船』を出すのではなく
大人が我慢して「待つ」ことも大切です。
子供にとっての「良かれ」と「与かれ」…
その差は子供が「出来ること」には大人が手や口を出さないことではないでしょうか?
~年中夢球 photo buchiko~