自信・・
文字通り『自分を信じる』と書きます。
『ウチの子は自信を持てないんだよね』
『もっと子供に自信をつけさせてあげればいいのに』
こうおっしゃる親御さんがいらっしゃいます。
その通りなんです。
子供には『自信』を持ってもらいたい。
私もそう思っています。
ですが・・
その『自信』の最前提はまず自分が頑張らなければいけないのです。
自分を信じるためにはまずは自分が頑張るのです。
『もっと子供に自信をつけさせてあげればいいのに』
と言いますが人から与えられたものは本当の自信にはなりません。
がんばった子が不安になった時に
『大丈夫だ。自信を持ちなさい』
と周りが言えることはできます。
ですが・・
がんばっていない子に
『自信を持ちなさい』
と言っても何の意味もありません。
がんばっていないのだから『自分を信じる』ことなどが出来ないからです。
一生懸命、練習をしていない子が
『俺は打てる』
と言います。
それは僕からすると
『自信』ではなく
『過信』です。
根拠のない『自信』は『過信』です。
僕は大事な試合の前に必ず選手にこう言います。
『目をつむれ。今までやってきた練習、悔しい敗戦を思い出せ。この試合のためにやってきたんだ。自信を持ちなさい』
接戦の時に・・辛い場面に・・
『こういう場面の時は気持ちも大事だ。絶対負けない。絶対優勝する。それだけの練習をしてきたんだろ?自信を持ちなさい』
そう選手に告げます。
『気持ち』だけではどうにもならないこともありますが『気持ち』がなければ始まりません。
どれだけ試合に向けて自分が頑張ったのか・・
どれだけ『自分との約束』を守れたのか・・
それが自信を持てるかどうかの分かれ目だと思います。
毎日、素振りをやると自分自身と約束をする。
雨の日だからと言って休まずにガード下や屋根の下で素振りを出来る場所を探してバットを振る。
1ヶ月…自分自身との約束が守れた。
ちょっぴり、約束を守れた自分が好きになれた。
約束を守れた自分だから、もっとがんばれるかもしれない。
1年間…毎日、バットを振り続けた。
1年間、自分自身との約束を守れた自分に自信が持てるようになった。
だから、もっと大きな約束も守れるかもしれない。
このようにして「自信」というのは自分「自身」の身体に染み込ませて創りあげられていくのではないでしょうか?
時に他の子と比べて自信を持とうとする子がいます。
『俺はこいつよりうまい』
という自信ほどもろいものはありません。
逆に言えば『今の自分に自信が無い』から他人と比較して自信を持とうとするのです。
『もっと自信を付けさせてあげればいいのに』
親御さんはそう思われるかもしれません。
ですが、がんばった子にこそ自信はつくのです。
順番が違います。
だから、我々指導者は『自信』を持たせるために色々な言葉や行動を子供に投げかけているのです。
がんばった子も『自信をなくす時』があります。
子供が自信を失ったら『取り戻させてあげる』ことが、親や指導者の役目なのではないでしょうか。
そのためには『厳しい言葉』や『厳しい練習』が待っているかもしれません。
それでも厳しい練習をすることによって
自分自身の身体に染み込ませた『自身』と・・
自分自心に染み込ませた『自心』を得られるはずです。
身も心もがんばって自分を信じられるようになった時に・・
心から『自信』がつくはずです。
~年中夢球~