「うちの子は誉めるところがないんです。正直、野球も上手くありません。グラウンドでも叱られることが多く…家でもついついと叱ってしまいます」
先日、このようなメッセージをいただきました。
以前にも書きましたが「誉める」ということは「結果」ではなく「経過」で…
だと思って入るんですね。
子供が何もしていないのに「誉める」ということは「おだてる」になってしまいます。
子供ががんばっている姿があって初めて「誉められる」ことが出てきます。
色々なご家庭があります。
ご家庭の数だけ教育方針も違います。
お子さんのタイプによっても違うでしょう。
「うちはめったなことでは誉めない」
というご家庭もあるでしょうし
それはそれで一つの「愛情」だと思います。
私の父も私を誉めることは殆どありませんでしたが「愛情」は感じていましたから。
ではこの親御さんのように「誉めるところがない」というご相談をよくいただくのですが本当にそうでしょうか?
がんばって続けているもの=経過がどんなお子さんにもあると思うんですね。
毎日の素振り…
毎週書く野球ノート…
道具の手入れ…
毎週金曜日に次の日の準備をする。
そんなことはどれも当たり前じゃないかと思うかもしれません。
ですが、こういう当たり前のことが出来ていない野球少年もいます。
要は親が子供の何を見るのか。
親が子供のどこを見るのか。
なのではないでしょうか。
素振りをしないで生まれたヒットは偶発的なものが多く長くは続きません。
経過がないものに本当の意味の結果は生まれません。
毎日毎日素振りをしたから生まれたヒットだからこそ親も子供も嬉しいはずです。
「毎日素振りをしたからだね」
ヒットを打った結果ではなく・・
ここでも経過で誉めてあげることが出来ます。
道具の手入れをしていれば「物の有り難さ」がわかります。
野球ノートを書いていれば「考える」ことの大切さもわかります。
これらを継続していることも十分誉めることに値する所なのではないでしょうか?
「子供の行動にないもの」を無理矢理誉めることは私も好きではありません。
ですが・・
皆さんのお子さんも継続してがんばっているものがあるはずです。
ひょっとすると親御さんが見過ごしているのかもしれません。
見ていたのに気が付かなかったのかもしれません。
『言えば光る』と書いて
誉める。
お子様ががんばって継続しているものを誉めるからこそ
お子様はキラキラ光るのだと思います。
子供が何もしていないのになんでもかんでも誉めるというのは
どうかと思いますが・・
『誉めるところがない』
ひょっとすると見る側に『誉める眼』がないのかもしれません。
~年中夢球~