今、夜中の3時になります。
娘が明日から始まる神奈川の春の県大会のベンチ入りの選手のお守りを作っています。
娘にとって最後の春…そして、夏がやって来ます。
今まで身内の話はあまりしてきませんでしたが今日は娘の話をさせてください。
私の娘は野球をしていた兄と弟の影響で、おそらく、やりたくもない野球をやり始めました。
きっと野球をしていないと話についていけない、家族の話についていけないと幼心にそう思ったのだと思います。
いや、環境がそう思わせてしまったのかもしれません。
ですが、年々、野球が大好きになっていく彼女がいました。
小学校1年からリトルリーグに入り、中学はソフトボールで横浜市の3位になりました。
高校でもプレーヤーの推薦の話しを頂き・・
プレーヤーの道に進むと思ったのですが…
「パパ、私は高校野球に携わりたい」
と…
「プレーヤーじゃなくてマネージャーになるけどいいかな?」
と中3の夏に告げられました。
親としては子供の決めたことを応援したいと思いつつ、プレーヤーではない彼女を応援出来ない寂しさみたいなものを感じた感覚を覚えています。
そして自分で高校を決め140名の大所帯のマネージャーになりました。
高校が始まり…
「パパ、今日○○がホームラン打ったよ」
「パパ、今日○○とこんなこと話したよ」
毎日、部員のことを嬉しそうに話す娘を見ていると自然にグラウンドに足が向きました。
ああ、これが娘が話してた○○君だなって、娘が応援している部員を間接的に心から応援していました。
応援って損得じゃないんですよね。
娘を見ていると、損得じゃなくて、純粋に応援してるんです。
僕はマネージャーは野球が好きだから出来るのだと思っていました。
でも娘は野球が好きな以上に部員が大好きなんですよね。
損得なしで…純粋に応援したい。
そんな姿を娘から教わっています。
きっと部員からも愛されているのだろうと娘を見ていると感じます。
「部員と餃子の王将行ってきた」
「部員と串揚げの数、勝負してきた」
普通の女子高生が行かないような所に連れて行ってもらっているようです(笑)
『応援『って自然発生で起こるものなんですよね。
レギュラーになったとかベンチに入ったとかではなく、純粋にがんばっている人にがんばれって!
そして応援っていうのは『言葉』だけではない。
こうしてお守りをこの時間まで作っていることも立派な応援なのだと彼女を見ていると感じます。
私の娘はグラウンドに立つ『プレーヤー』ではありません。
ですがグラウンドに立つ『プレーヤー』を一生懸命応援する『プレーヤー』です。
一人一人のお守りお作りながら『パパ・・似てるかな?』って聞かれた時に、娘が応援している選手をグラウンドに行っているから自分もわかるんですよね・・
『おっ似てるじゃん!』と言うと
『本当?よかった』と答える娘は、これを手渡しした時の部員の笑顔を想像して作っているのだと思います。
そして、その時に喜んでもらえた部員の笑顔で笑顔になれる娘を想像してマネージャーの親は笑顔になれるのです。
人を応援するのは損得じゃない。
私は娘から教えてもらいました。
そして人を損得なしで応援できる人間は同時に応援される人間なのだと思います。
応援される人間はがんばってるからなのです。
がんばってるから自然発生で応援したいって思いますから。
お守りを作っている娘が横にいます。
出来上がるまで今夜は一緒にいようと思います。
娘が部員の応援しているのと同じくらい、僕も娘を応援しています。
そして娘を応援してくれる人もたくさんいる。
高校野球の終わりまであと3ヶ月。。時間よ止まれ。~年中夢球~
私の娘も高校野球のマネージャーでした。
弟が小学校から野球をしていて 同じような環境にあり娘も小学校〜中学校までソフトボールをしていました。
高校もソフトボール部の監督さん直々にお手紙をいただき 入部するものだと思っていたら…野球部のマネージャーに決めた❗️と嬉しそうにゆう娘がいました。
そこからの2年半 彼女は全力で部員のサポートをしていました。
お守りも千羽鶴もかなり立派なモノを作り 嬉しそうにスタンドからベンチから声を出す娘を誇らしくもいました。
娘は 弟のシニア、高校野球の応援も全力でしてくれて 同じチームの子たちにも声をかけ励ましてくれました。
親が子供の応援をするのは当たり前のことだけど、我が家は娘のサポートが息子を支えてくれたのだと思っています。