私の所に来た素敵なメッセージ。
父と子のティーのお話。
私は31歳になります。
元高校球児です。
野球が大好きだった父の影響で
小学校1年生から野球をやり始めました。
やり始めた・・
というよりは父に入部させられた・・
というほうが正しいかもしれません。
父は厳しい人間でした。
週末の野球だけではなく・・
平日も毎日毎日・・
練習でした。
どんなに激しい雨の日も・・
どんなに厳しい風の日も・・
車庫で毎日・・
父はティーを上げてくれていました。
少年野球が終わり・・
中学になっても・・
父のティーは毎日続きました。
本当に・・毎日・・毎日。
『今日は疲れているから・・』
と言っても父は許してくれませんでした。
黙々とただ何百球のボールを父は上げていました。
中学最後の大会。
最終回1点負けている場面。
ツーアウト2・3塁。
僕は最終バッターになりました。
見逃し三振で試合は終わりました。
あれだけ・・
毎日バットを振ったのに・・
僕の中学最後の夏は・・
バットをふらずに終わりました。
父は・・
何も言わず・・
その日もいつもと同じようにティーを上げてくれました。
高校に入っても・・
父のティーは変わらず続きました。
厳しい練習を終え・・
家に帰ってからのティーはかなりきつかったです。
高校3年の夏大前・・
『野球は高校まで』
そう父に告げました。
『わかった』
父は一言だけそう言いました。
最後の夏の前・・
毎日毎日行っていたティーのこの時間。
会話はほとんどなかったけれど・・
貴重な父との時間。
父も仕事終わりで疲れている時もあっただろうと・・
残り時間が少なくなったこの頃から・・
父に感謝の気持ちが強くなってきました。
最後の夏・・
初戦。
1-7で負けている状況で最終回に打席が回ってきました。
打席に入る前・・
僕の頭に浮かんできたのは・・
父とのティーの時間でした。
必ず振る。
中学の時とは違う。
そう思ってバッターボックスへ。
初球・・
センター前にクリーンヒットでした。
これが僕の高校野球・・
いや野球人生最後の打席です。
試合が終わり・・
父の姿を見て・・
ボロボロと涙が出てきました。
『ティーありがとう』
そう一言だけ言うと
『ナイスバッティングだったなあ』
と言っている父の頬にも涙がこぼれていました。
あれから13年・・
父は他界しましたが最後の打席のヒットは
父のティーのお陰だったと今でも思っています。
そして・・
継続する大切さを僕に教えてくれたのです。
~年中夢球~