若い頃・・
『練習が厳しすぎるのではありませんか?』
こういうご意見を保護者の方から頂いたことがあります。
確かに小学生にとっては厳しい練習内容でしたし厳しい言葉もかけていました。
自分でもそれはわかっていたのですが・・
いざそういうご意見が出ると・・
やはり考えてしまうんですよね。
自分の練習は厳しすぎるのだろうか・・
そう悩んだことを思い出します。
『俺のやり方は間違えていないんだ』
という気持ちも大切な時もありますが・・
時に自分を第三者目線で見ることが必要な時があります。
この時・・
わが子がチームにいましたので・・
息子に聞いたことがあります。
『俺の練習は厳しいか?』
そう聞くと・・
息子は・・
しばらく考えてからこう答えました。
『そりゃ厳しいよ。でもね・・俺は厳しくても優しくてもどっちでもいいんだよ。野球をうまくさせてもらえればいい。ただそれだけ。厳しいか優しいかなんていうのは気にしない』
なんだかこの言葉に妙に納得したんですよね。
もちろん野球だけ上手になる選手だけになっても欲しくはありませんが・・。
続けて息子はこう言いました。
『親が何て言ってるか知らないけどさ・・多分、選手はみんな俺と同じ気持ちだと思うよ。だから、みんな親父についていってるわけでしょ。今更、優しくされても調子狂うわ』
そう言って笑っていました。
この言葉を聞いて迷いが吹っ切れたんですよね。
ただ・・
野球を上手くさせるために何でもかんでもではないなと・・
そうも思いました。
厳しくすることも誉めることも・・
彼等の野球を上手にさせるための一つの方法だと思いました。
どういう時に厳しさを持つのか・・
どういう時に誉めるべきなのか・・
そんなこと自分で勉強し始めました。
その中で野球人として大切なことは何なのか・・
整理整頓や挨拶の大切さ。
野球を上手にさせるだけの指導も違うということも・・
この時から考え始めました。
指導者の方はみなさん『信念』をお持ちだと思うんですよね・・
私にもあります。
その根っこが変わってしまえば
『ぶれる』
ことになってしまいますが・・
信念を変えずに
『方法論』
を変えることはできると思うんです。
根っこの考えは変えず方法論を変えてみる・・
難しいことかもしれませんが
『信念と柔軟性』
を持つことが指導者で必要な部分なような気がします。
ちなみに
『練習が厳しすぎる』
と私におっしゃったお母様は
子供の考えではなく見ていてお母様が練習が辛そうだと・・
勝手に判断しただけだと後から謝罪に来られました。
昨日・・
高2になった我が子に聞いてみました。
『あの時の練習厳しすぎたか?』
そう聞くと
『今考えたら・・あれ・・小学生の練習じゃないよ』
そう笑いながら言った後に・・
『でも・・あれがあったから今の俺があるかな』
そう言った彼に親として成長を感じた夜でした。
写真・・
球育の表紙にもなった息子です。
101回目の夏に参加します。
神奈川の夏もいよいよ始まります。
~年中夢球~