どの親も子供に【愛】を持っています。
親から子への愛は無償の愛だと言われています。
しかし・・
その愛情が【溺愛】になっていないでしょうか?
溺愛・・
相手を客観的に見る目を失いむやみにかわいがること。
辞書にはこう書いてあります。
野球の現場にも【溺愛】してしまっている親御さんを見かけます。
我が子が叱られている姿を見たくない。
レギュラーを取れない我が子が可哀想で仕方ない。
そうならないように・・
周りのせいにして・・
先回りをする事は子供のためになりません。
親はいつまでも親です。
ですが、親と子供は全く違う人格を持つ人間です。
子どもを支配してしまってはいけません。
かわいいと思う気持ちは永遠に持てばいい。
ですが・・
子どもへ口出ししたり・・
手を出したりするのは早くやめたほうがいいはずです。
溺愛は、愛情という名のもとにむやみに子どもを可愛がり、子どもの自立心を奪います。
出来愛は『盲愛』とも呼ばれます。
子どもが受け取れる愛ではなく、親が思う一方的な愛を押し付けている状態です。
我が子さえ良ければ他の子はどうでもいい。
我が子さえ活躍すればチームはどうでもいい。
そんな風に周りが見えなくなってしまうと・・
チームの人間から愛情を受ける事は出来ずに・・
子どもの成長に悪影響を与えます。
要するに子離れできていない状態です。
親が子どもの人生に依存している状態かもしれません。
これに子供が親の気持ちに応えなければいけないと思うと【共依存】という形になります。
要するに一心同体の状態です。
本来であれば子どもの問題は子ども自身が解決しなければならないことです。
子どもの問題は親の問題であるかのように感じて、失敗させまいとなんでも先回りしてしまいます。
そうすることで溺愛する親は心の安定を図ろうとします。
周りの眼も気にせずに・・
当然失敗もするでしょう。
失敗経験を乗り越えた時の達成感が自信となります。
「自分はできる」
「失敗してもまたチャレンジすれば良い」
という感覚が自立心を育むのです。
親がなんでも手や口を出すということは・・
失敗経験や成功体験の機会が奪われるということです。
考える力や判断力を奪われるということです。
親が溺愛してしまい考える力や判断力が失われると・・
子供がチームの中で溺れてしまいます。
そのまま成長すれば・・
世間の荒波にも溺れてしまいます。
子供が親の力を借りずに自分一人で何でも出来るようになるための【出来愛】が親には必要なのではないでしょうか?
~年中夢球~