少年野球~高校野球 野球少年の親と指導者のブログ

少年野球 『想い遣り』の場面を間違えると『思い上がり』になる

野球の現場にはたくさんの親御さんがいらっしゃいます。

皆さんチームのためにとても熱心に動いて下さっています。

想い遣りと思い上がり 

少年野球の組織というものには『役割』というものがあります。

監督・コーチ・審判部・婦人部長・父母会長・親御さん…

それぞれがそれぞれの役割を果たして『チーム』という車を動かすと僕は考えています。

全員の大人が

『子供のために』

と思って行動してくれています。

しかし、その思いが上がり過ぎてしまうと

『想い遣り』が『思い上がり』に変わってしまう事があります。

相手の心を考えることが『想い遣り』であり・・

自分がしたいことをしているのは『思い上がり』になってしまうのかもしれません。

それは想い遣りでしょうか? 

ある選手が全力疾走を怠ったのでグラウンドの外に出しました。

『何故、全力疾走をしなければいけないのか。グラウンドの外で考えて結論が出たら私の所に来なさい』

そう彼に話しました。

私はグラウンドの外に出す時は

『自分と会話をしてきなさい』

と選手に伝えています。

その選手を見ると見学に来ていたお母様が彼に話しかけている姿がありました。

お気持ちわからなくはありません。

ですが・・

これはお子さんの事を思っての【想い遣り】だとは私は思いません。

休憩時間になるたびに

『飲み物がない人は言ってね』

と言うお母様がいらっしゃいます。

彼等は自分で言えます。

これも私には【想い遣り】には思えません。

子供のために・・ 

自分の「優しさ」を押しつけていないでしょうか?

またはアピールしていないでしょうか?

相手の立場に立って「想い遣れる優しさ」が本当の想い遣りではないでしょうか?

そう考えると・・

相手(子供)の事を考える【想い遣り】とは何でも手を差し伸べたり口を出す事ではないはずです。

グラウンドの外に出されてしまった子は一生懸命に自分と対話をして【覚悟】を決めるチャンスだったはずです。

飲み物がなくなり自分から言えなくなってしまうのは大人が先に口を出してしまうからかもしれません。

大人が手を差し伸べたいと思った時や・・

大人が口を出したいと思った時に・・

じっと見守ることが本当の【想い遣り】になる場面もあるはずです。

「思いやれる自分」「優しい自分」と思い込み・・

何でもかんでも手を差し伸べたり救いの言葉を口に出してしまう事は

「思い上がり」になることもあります。

何か言葉を掛ける前や行動をする時に

【これが本当に子供のためなのか】

を考えることで想い遣りと思い上がりの区別がわかるかもしれません。

~年中夢球 photo buchiko~

この記事を書いた人
野球少年を持つ親御さんと指導者の皆様へ元気を送り続ける[年中夢球]です。 神奈川野球雑誌『ОNEDREAM』に連載中。

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