親が「勝ちたい」のか…子供が「勝ちたい」のか
「勝ちたい」
そう思うのは子供です。
我々親は
「勝たせてあげたい」
と思わなければいけません。
「親」という漢字は「木の上に立って見る」
と書きます。
勝ちたいと思う子供を木の上から「見守ってあげる」ことが大切です。
「レギュラーになれなくて悔しくないの!」
悔しいのは親御さんなのかもしれません。
「結果を出しなさい!」
結果が欲しいのは親御さんなのかもしれません。
子供の感情より自分の感情を優先させてしまった時に…
子供より親御さんのほうが
「勝ちたい」
と思ってしまいます。
「勝ちたい」
と思うのは子供です。
我々指導者は
「勝たせてあげたい」
と思わなければいけません。
「指導者」という漢字は「導き指す者」と書きます。
指導者のステータスを上げるために子供がいるのではありません。
ご自分の名声のために子供を使ってはいけません。
自分が「勝ちたい」と思えば小学生のピッチャーの子に過度の球数を投げさせることが出てきます。
導き方を間違えてはいけません。
我々指導者は未来ある小学生に中学野球や高校野球で活躍出来ること。
そして、野球の素晴らしさを「導き指す者」でなくてはいけません。
子供に伝えたいのか…自分が言いたいだけなのか
時に親として…
時に指導者として…
厳しい言葉を投げ掛ける時もあるでしょう。
それは…
本当に子供のことを思ってのことなのか。
それとも…
自分が言わなければ気がすまないからなのか。
言葉を投げ掛ける前に一度…
心の中で「自問自答」することも必要なのかもしれません。
子供からすれば
親も指導者も「絶対的な存在」のはずです。
だからこそその「絶対的な存在」の立場を利用してはいけないのです。
子供のために・・
そう思っていることが
自分の『ために』なっていることがあるかもしれません。
「あなたのために言っているのよ」
「お前のために言っているんだ」
子供は敏感です。
「嘘つけ!自分のために言っているんだろ」
心でそう思っているかもしれません。
親として子供を見る見方…
指導者として子供を導く導き方…
それは子供から与えられた我々大人のテーマなのかもしれません。
~年中夢球~