野球界に限らずスポーツ界には選手を『干す』という言葉があります。
今まで試合に出ていたのに一つのプレーや態度で試合で使ってもらえなかったりする場合にこの言葉が使われたりします。
最近では日大のアメフト部でこの【干す】ということが問題になりました。
実力のある選手に対して、メンバー全員の前で名指しで叱責したりレギュラー陣から外したりすることで
「結果を出さなければ干すぞ」
という圧力をかけていたことが関東学連の調査で明らかになったそうです。
【干す】という言葉を指導者が堂々と使う事にはかなり問題があると私は思っています。
私も試合中に全力疾走を怠った選手は試合の中でも交代させます。
これも【うちの子が干された】と言われると・・
ちょっと待って下さいという事になると思うんですよね。
指導者側からすると【干す】という事ではなく【反省の期間】の時間を与えているのではないでしょうか?
そして次に同じことをしないようにという【願い】が入っているケースがほとんどだと思うのです。
しかし・・
現実的には【干す】指導者もいらっしゃいます。
【干す】指導者と【反省の期間】を与える指導者の違いはどこにあるのでしょうか?
【干された】選手は、理由がはっきりしていれば、その条件をクリアしようとがんばれます。
ですが・・
「何が悪かったか自分で考えろ」
と指導者の方に言われてもわからない子が現実的には多くいます。
私も子供が自分で考えることが大切だと思っています。
ですが・・
監督さんの気分で怒られ自分で考えろと言われては
子供たちに答えが見つからないのです。
その選手を試合に出さないのであれば・・
何らかの【期待】があるのであればわかります。
しかし小学生の場合・・
あまりにもその期間が長かったり・・
何が原因なのかわからずにそのまま【干す】状態が続くと
選手の中には干からびてしまい野球を辞めてしまう選手も出て来ます。
野球界には『干す文化』がまだ多く残っています。
干すという言葉は指導者の方の思惑や選手や親御さんの受け取り方でも変わってきます。
『干しているのか』『愛情』なのかは・・
根っこにあることが指導者が子供の将来の事を考えているのかどうかのはずです。
~年中夢球~