私は普段子供に勉強を教える仕事をしています。
教育という仕事に就いています。
ですが…
教育者というのは学校の先生だけではなく全ての大人が『教育者』だと思うのです。
勉強だけではなく…
育む心を導くのが『教育者』です。
我々が幼少の頃は『近所のおじさん』が悪いことをしたら叱ってくれました。
立派な教育者だったのだと思うのです。
しかしその『教育者』が…
『教育者』ではなく
『恐育者』になっている方もいらっしゃいます。
『言うことを聞かなければ試合に出さないぞ』
という恐怖を選手に押し付けていた『恐育者』であり…
選手を脅かしていた『脅育者』なのかもしれません。
立場が上になったから偉いわけではないのです。
『俺はお前より立場が上だ』
こんなことを言う方がいます。
会社ならまだしも…
少年野球の組織に
『立場が上も下』
もないのです。
私もこういうセリフを言われたことがありますが・・
上…下じゃないのです。
『役割』
が違うだけです。
立場という立つ場所が変わっても目線は子供と同じでなければいけません。
立つ場所が上から見ようとするから子供の心がわからなくなるのです。
こういう人は
『俺の言う事を聞けないのか』
とよく言いますが立場を勘違いしている典型的な人です。
我々は一人の子供を指導者の方や親御さんと協力し合って・・
時には叱り・・時には誉め・・
子供の心を協力して育ませていく『協育』も必要です。
親は子供に親をさせてもらっています。
子育ての中に色々な悩みや不安を持ち・・
それでも我が子の為に必死に皆さんは親をしているのです。
そう考えると子供は親と共に・・
親は子供と共に一緒に成長している『共育』なのではないでしょうか?
親も子供と共に『親としての心』を育んでいっているのだと思います。
その親の姿が子供の心に響く時がやってきます。
それは少年野球の卒団式の時なのかもしれません。
高校野球の最後の日なのかもしれません。
自分が親になった時なのかもしれません。
ですが・・
我が子は親の姿をじっと見てきたのです。
自分にたくさんの愛情を注ぎ・・
がんばっていた親の姿を・・。
親は子供の『鏡』といいます。
親が必死にがんばっている今の姿が・・
親の背中が・・
子供にとっては『鏡育』となって受け継がれていくのだと思います。
~年中夢球~