グラウンドから出ろ!
そう言われて立たされている我が子の姿を見るのは親から見ると切ない光景ですよね。
親として私も3人の子供がいるのでよくわかります。
親の立場からすると切ない気持ちにもなりますが
『グラウンドを出された』
ということではなく
『何故グラウンドから出されたのか』
ということを知るほうが大切です。
では指導者からするとどうでしょう。
私も小学生の指導をさせていただいていますが選手をグラウンドに出す時があります。
皆さんはどういう思いで…
どういう意図で…
子供をグラウンドから出しますか?
グラウンドから出す=罰
と捉えがちになってしまいますが、
僕の場合は
『自分と向き合う時間』
としてグラウンドから出すことがあります。
チームの約束ごとを守らなかった場合がそれに当たります。
私のチームの約束には技術的なことは存在しません。
○グラウンド内は全力疾走をする
○心を込めて挨拶をする
こういう約束ごとばかりでその約束ごとも選手に決めさせています。
ですが・・
子供ですから時としてこの約束ごとを守れない場合もあります。
フライを打ち上げて全力疾走を怠った。
フライを打ち上げてもまだアウトではありません。
全力疾走を怠ったということは可能性を捨てたことになります。
それはその選手だけでなくチームとしての可能性を捨てたことになります。
僕はこういう選手はグラウンドから出します。
それは『罰』ではなく
『自分と向き合う時間』
としてグラウンドの外に出します。
チームの約束事を守らなかった自分。
全力疾走を怠ったのは何故か。
それがチームにどういう影響を及ぼすのか。
じっくり自分と向き合ってほしいんですね。
ノックで何度もボールをよけてしまう子も同じです。
一度グラウンドから出てじっくり自分と向き合う時間を作ることもあります。
一から十まで叱るのではなく
『自分と会話をしてもらう』
時間を作るほうが同じ過ちをくる返さなくなると思っています。
自分と会話した後にグラウンドに戻ってきた選手はあるものを手に入れてきます。
それは・・
『覚悟』です。
覚悟っていうのは
『自分を裏切らない』
ことだと思うんですよね。
ですから、僕はグラウンドに戻ってきた選手に
『自分を裏切るなよ』
そう伝えます。
そうやって自分を裏切らないことによって自信を持ち自分が好きになっていくと私は思っています。
野球ノートも自分と向き合う時間になります。
何かを書くということは自分と向き合う時間になります。
素振りを何回したという記録誌ではなく・・
あのミスはどうして生まれてしまったのか?
その時の自分の気持ちはどうだったのか?
これからどうしたらいいのか?
を書くことが
『自分と会話する時間』
になります。
今の子供はなかなか自分と向き合うことが出来ません。
タイミングを逃さずに大人が子供に自分と向き合う時間を作ってあげることが必要かもしれません。