人間は「居場所」を求めます。
それは子供だけでなく我々大人も同じことが言えるでしょう。
職場・家庭・仲間…
どこか一つでも「自分の居場所」があれば人間はがんばっていけるのだと思います。
「自分の居場所」とは・・
「自分が必要とされている」と感じることです。
我々大人であれば「居場所」を見つけるために自分から発信しなければいけないこともあります。
ですが・・
幼い小学生の野球少年はどうでしょうか?
みなさんの野球チームにいるお子さんに「居場所」がない選手はいないでしょうか?
居場所がないと子供が思っているということは心を閉ざしている証拠です。
僕はこのチームに必要なのだろうか・・
僕がいなくてもこのチームは関係ないだろう・・
特に試合に出ることが少ない選手がこう思ってしまうケースがあります。
だからこそ、こういう選手を邪見に扱うようなことは絶対にあってはならないことです。
お弁当を一人で食べている子。
キャッチボールの相手がいつもいない子。
どこかで子供はサインを送っているかもしれません。
特に大人の眼がなくなる所こそ彼等は「居場所」がなくなることがあります。
逆にサインを出さない子もいます。
普通に接しているのにどこか満たされずに『居場所』がない子供もいます。
こういう子に
「チームを辞めたい」
と言われると、こちらからすると
「突然の出来事」
と思いますが、この子が、ずっとそういう思いで苦しんでいたのかと思うと
心が苦しくなり、子供に申し訳ない気持ちでいっはいになります。
当然、こちらは『チームで必要な選手』であると接していたのにもかかわらず
子供にそれを感じさせてあげることが出来なかったことになります。
低学年であれば、こちら側がある程度「居場所」を作ってあげることも出来ます。
お弁当を一人で食べていれば
「皆で食べるように」
と声を掛け
キャッチボールの相手がいつもいなければ
「○○とキャッチボールをするように」
と声を掛け
「居場所を作ってあげる」
ことが出来ます。
これが高学年の子にも全て当てはまるかというとそうでないケースもあります。
「居場所を作ってあげる」
ことに居心地の悪さを感じる子もいます。
「作られた居場所」に気付いてしまう子が出てくるわけです。
また高学年になると周りの子もこの大人が作り上げた「居場所」に気付く子が出てきます。
我々大人も作られた「居場所」というのはわかりますよね。
その作られた形だけの「居場所」は決して居心地がいいとは言えなかったりします。
大人になれば自分が変わり自分が発信していくことで『居場所』を作っていかなければいけない時もあるでしょう。
ですが、『居場所』というものは「作られた空間」ではなく「自然と溶け込める空間」であるべきなのかもしれません。
その空間は、選手一人一人、監督・コーチ・親御さんたちが作り出す雰囲気が自然な『居場所』になるのではないでしょうか。
~年中夢球~