想い遣り…
想い遣りとは本来、自分の所にある「思い」を他の人の所に「遣って」その人の身になって考えたり感じたりすることです。
そう思うことによって本当の優しさや愛情が生まれてくるのではないでしょうか。
自分にある「思い」が相手を心で考えることによって漢字の通り「想い」に変わって気遣う…だから「想い遣り」だと思うのです。
試合に出ている選手がユニフォームを泥々にしました。
その親御さんが一言。
『もうあんなユニフォーム汚して!洗濯が大変だわ。』
試合に出ている選手がエラーを連発してしまいました。
その親御さんが一言。
『もう交代させてほしいわ!』
何気ない一言です。
でも試合に出ていない親御さんが聞くとこの一言は『何気ない一言』ではなくなってしまうかもしれません。
悪意がないからこそサラッと口にされた一言を傷つけてしまうこともあります。
同じチームで仲良くなったから・・
身近な人に程、言葉が甘くなってしまう事もあります。
この言葉を受け取った側はどうでしょう。
この言葉が気になってしまったということは『レギュラーでない』ということに敏感になっているのかもしれません。
だからこそ、何気ない一言を敏感にキャッチしてしまっているのかもしれません。
立場が違うことによって話す方も受けとる方も捉え方が変わってくることがあります。
相手の立場を考えて言葉を発信する方は心遣いが必要ですね。
たった一言の何気ない言葉が、今までの関係を崩すこともあります。
子供がそうであるように親御さんも一つの『チーム』です。
そうなることによって「親御さん同士」は「親御さん同志」になるのかもしれません。
我が子に愛情がない親御さんはいないはずです。
ですが我が子のためにと思って言ったり行動したりしていることが子供のためになっていないことがあるかもしれません。
一昨日の投稿でも話しましたが、周りの方に叱られる前に…叱られたくない姿を見たくないために、自らが先回りして怒ってしまうのは「想い遣り」とは違います。
親御さんが良かれと思っている「注意」はお子さんは「否定」と捉えているかもしれません。
親御さんが良かれと思っている「促し」はお子さんは「強制」と捉えているかもしれません。
否定や強制をしなければいけないことももちろんあります。
ですが、否定と強制だけを繰り返していると子供の自主性や自立が遅れてしまいます。
子供がいつまでもよっかかる親ではなく、子供がよっかからなくていい親にならなければいけません。
子供のためにと思っている「想い遣り」が子供にとっては「重い槍」になっているかもしれません。
相手の気持ちを考えない言葉や、過剰な否定と強制の言葉は「重い槍」となって相手の胸に突き刺さります
想い遣り…
自分の所にある思いを相手に遣って「想い遣り」
自分がこんな時にこんなことを言われたらどう思うかな…
そう考えることによって、言葉の「遣」い方や、気の「遣」い方が代わってくるかもしれませんね。~年中夢球~