私の次男は甲子園がなくなった世代です。
そして・・
神奈川の親だけは観戦が許されませんでした。
子供が夢を見ていた甲子園がなくなり・・
皆様のお力で何とか実現できた独自大会。
しかし・・
神奈川の親だけは最後まで観戦が許されませんでした。
神奈川の親だけは・・
我が子の最後の夏を一球速報で見る・・
我が子の表情もわからない夏で終えました。
大会が終わって・・
自分の中では前を向いていこう・・
そう何度も思いましたが・・
私はあれほど大好きだった高校野球を観ることが出来ませんでした。
テレビも・・
youtubeも・・
私は高校野球から逃げていました。
いや・・
プロ野球すら見なくなり・・
野球を遠ざけている自分がいました。
そんな自分が嫌で嫌で・・
たまらなく嫌になることで自己嫌悪に落ちていく日々が続きました。
1年後の夏・・
『きっと今年も高校野球は観れないだろう』
自分の中でそう思っていましたし・・
現にテレビで神奈川大会も観ることはありませんでした。
ある日・・
一本のメールが届きました。
米子松蔭の保護者の方からでした。
全員が陰性だったにも関わらず出場辞退になってしまったこと・・
選手を乗せたバスが球場である右に曲がらず左に曲がったこと・・
色々なお話を聞かせていただきました。
この時は・・
私もまさかあんな大事になるとは思ってもいませんでした。
保護者の方も・・
出場辞退を何とかしてもらおうというのではなく・・
選手にどう言ったら納得してもらえるのかというご相談でした。
『キャプテンの子と直接話をさせてもらえますか?』
そう言って電話を切りました。
キャプテンの選手の名前は西村虎之助主将。
この時・・
私はまだ彼が投稿したTwitterも知りませんでした。
その日の夕方・・
西村主将と電話で話すことが出来ました。
『今・・何してた?』
そう聞くと・・
『壁ぶつけしてました・・なだ何があるかわかりませんから』
と答えてくれました。
【引退】となった彼等は、寮から実家に戻っていました。
この状況の中で・・
一人で壁ぶつけしている彼の気持ちを考えると胸が苦しくなったのを今でも覚えています。
彼は力強い言葉で
『このままでは終われないんです。グラウンドの中で終わりたいです』
そう言ってくれました。
『俺の力なんか大したことないかもしれないけれど一緒に戦おう』
そう彼に言って電話を切りました。
彼のTwitterはたくさんの人に読まれ・・
私も私のSNSで投稿したくさんの人に拡散して頂きました。
出場が決まり・・
米子松蔭の選手・保護者の方からたくさん連絡を頂きました。
『甲子園に行って必ず恩を返します』
みんな同じ言葉で連絡をくれました。
試合当日・・
私はパソコンの前に座りました。
米子松蔭の彼等の試合は観なくてはいけないな・・と。
試合前・・
どういう感情が自分に出てくるのだろうか。
最後まで見ることが出来るのだろうか。
そんな気持ちでした。
試合が始まり・・
『これが西村君か・・』
『この子があのメッセージをくれた子か』
文字や声では彼等を知っていましたが・・
初めてみる顔を確認しながら試合を観ていました。
境高校さんとの試合は正に激戦となりました。
試合後半から・・
何故だか涙が溢れだしました。
『高校野球ってやっぱり素晴らしいな』
一球一球、白球を追いかける両校を見てそう感じました。
次戦の八頭高校さんに敗れてしまいましたが・・
西村主将から
『グラウンドで終われてよかったです。本当にありがとうございました。』
そう連絡が来ました。
高校野球から避けていた私を・・
高校野球に戻してくれたのは米子松蔭の野球部の選手達です。
私の方こそ心からありがとうの気持でいっぱいです。
また・・
最後の夏をグラウンドで終えれなかった選手もあの夏にはたくさんいます。
自分の無力さを感じた夏でもありました。
一刻も早く・・
日常に戻り・・
思いっきり声を出し・・
親も誰もが観戦出来るあの日が戻ってくることを望んでいます。
~年中夢球~