少年野球~高校野球 野球少年の親と指導者のブログ

高校野球 メンバーに入れなかった息子が引退で言った一言

甲子園がなくなったあの年から2年。

私の息子もあの辛い夏を経験した年代でした。

あるお母様から頂いたメッセージです。

お弁当に願いを・・

本間さん・・

2年前の夏は子供達のために親のために先頭に立ってくださり

色々行動してくださりありがとうございました。

私の息子も本間さんの息子さんと同じ年齢です。

高校3年生の時・・

甲子園がなくなった世代です。

私の息子は小学校2年生から野球をやり始めました。

中学校からクラブチームへ進み・・

高校は甲子園出場もある高校の野球部へ自らの意思で入部しました。

1年生2年生の時もメンバーには入ることはありませんでした。

高校になると親が何かをすることも少なくなり・・

何かしてあげたいけど何をしていいのかわからない時に・・

本間さんのブログに出逢いました。

お弁当や洗濯にたくさん願いを込めてあげてください・・

ブログにあったこの言葉。

たくさんたくさん願いを込めました。

1回でいいからメンバーに入れますようにと・・。

そう思っていました。

高校野球最後の日に

そして・・

春の大会がなくなり・・

甲子園がなくなりました。

独自大会が開かれるようになりましたが・・

息子のチームは3年生主体ではなく

例年通りのメンバー選考でした。

結局・・

息子は高校3年間・・

1回もメンバーに入ることは出来ませんでした。

最後の夏が終わり・・

学校に戻ってきて3年生が挨拶をします。

息子は何を言うのだろうと・・

そう思っていました。

息子の番になり息子は私の顔をじっと見た後に笑顔を作りこう言いました。

『母ちゃん・・1回もメンバーに入れなくてすまんかった。でも・・僕は少年野球からこのこう高校野球を引退するまで1回も怪我や病気がなく野球人生を終えることが出来ました。それは母ちゃんが作ってくれたお弁当のお陰だと思ってます。高校野球を最後まで出来る体にしてくれてありがとうございました。』

その言葉で涙が溢れだしました。

私が思っていた以上に・・

野球に・・仲間に・・指導者の方に・・

成長させてもらった息子。

その時に本間さんの

【高校野球最後の日に高校球児は孝行球児になります・・。】

という言葉を思い出しました。

甲子園はなくなったけど・・

メンバーに入ることはなかったけど・・

息子は孝行球児になりました。

母のお弁当

私もあの夏の事を思い出すと・・

胸が痛くなります。

しかし・・

この息子さんのように・・

あの夏を必死に戦い素晴らしい最後の夏を迎えた孝行球児もいます。

彼はレギュラーは取れなかったけれど・・

それ以上に大切なものを野球を通して手に入れたはずです。

母親のお弁当・・

私の年齢になると・・

今・・一番食べたいものかもしれません。

それは・・

母親の愛情がたくさん詰まっていたからだと思います。

~年中夢球~

この記事を書いた人
野球少年を持つ親御さんと指導者の皆様へ元気を送り続ける[年中夢球]です。 神奈川野球雑誌『ОNEDREAM』に連載中。