少年野球~高校野球 野球少年の親と指導者のブログ

高校野球 マネージャーに言えなかったありがとう

facebook仲間の記事を拝見して掲載の許可を頂きました。

私の娘もマネージャーをしていました。

目頭が熱くなる記事です。

ありがとうと言えなかった夏

先日・・

高校野球時代3年間共に甲子園を目指していた同期女子マネージャーが永眠しました。

享年51歳。

高校卒業以来、みんな、それぞれの進路先に旅立ち、それぞれに新たな出会いがあり、今のように携帯電話もない時代。

関係性を繋ぐものは、年に1度の年賀状や、誰かの結婚式などの催事程度。

その後も、みんな日々の生活に追われ、何かを懐かしんだりすることはあっても、何か行動を起こすこともなく、月日が経っていった。

一昨年、50歳になる節目の年、クラスの同級会は実行できたものの、野球部同期の集まりは実行できずにいた。

あの時、やっていれば、例え、彼女が出席できなくても、病気の事を知ることができたかもしれない…知ったからと言って何が出来たかわからないが…悔やんでいる。

当時を振り返ると、同期マネージャーは3人いて、いつも、部室の掃除やら、洗濯やら、我々男部員では目が行き届かない細かい部分まで手を伸ばし、様々な活動がスムーズにいくようにサポートをしてくれていた。

中でも合宿では、早朝から食事の準備をしてくれて、我々、男部員のお腹も満たしてくれた。

授業と授業の間の休憩時間もボールを縫っている姿を何度も目にした。

女子マネージャーの書くスコアブックには、様々な情報が書いてあり、そのスコアブックを元に何度もミィーティングをやった。

監督や先輩から理不尽な怒られ方をされたり、他の理由で何度も野球部を辞めたいと思った時があったが、その度に励ましの手紙をもらったっけ。。

自分は主将だったが、照れくさかったのかな…

感謝の気持ちがあっても、それを言葉で言った記憶がない。

かっこつけの青二才だったな。。

高3春の県大会。

あれよあれよと勝ち進み、創部初の県優勝。

マネージャーからは「ありがとう」と言われた。

でも、自分は「マネージャーたちのお陰だよ。ありがとう。」そこでも言えなかった。

最後の夏大。思わぬ伏兵に足元をすくわれ、高校野球が終了した。

その時も「ありがとう。」と言われたのに。。

卒業式の日、正門前で最後の記念撮影。

ここでも女子マネージャーは、男部員たちに『ありがとう』と言っていた。

いざ、撮影の時、主将の自分が必然的に真ん中になる予定だったが・・

この時ばかりは、いつも端っこにいた女子マネージャーたちを呼び寄せ、真ん中へ。

せめてものお礼。

高校時代が楽しかった

今回の同期女子マネージャーの訃報を受けて、お通夜には、本当に久々に多くの同期野球部員たちが集まった。

遠方で来られない同期は、弔電を送ってくれた。

「こんな時でもないと集まれないなんてな…」

「マネジャーが、みんなを集めてくれたんだなあ…」

その夜、久しぶりに納戸の奥にしまっておいたアルバムを出してみた。

自分が高校野球をしている時の写真や新聞記事がたくさん出てきた。

これを見るのは、いつ以来だろうか…

今の時代と違って、スマホで気軽に写真を撮れる時代ではなかったので、この写真たちは、新聞社の人だったり、保護者で写真好きの方がいたのかな…

女子マネージャーも一緒に写っている写真は3枚だけだったなあ。。

高3春先、千葉県遠征の写真と同年春県大会優勝した時の写真、そして卒業式後の最後の集合写真。

前日のお通夜に来られなかったが・・

翌日の告別式には参列できるという同期にも会うため・・

いや、この代の主将としての責任感なのか?自分も告別式に参列した。

出棺前に遺族の方にご挨拶をした。

「高校時代、毎日が充実していて、楽しい。と言っていました。」

の一言に言葉を失う。

3年前に病気が見つかり、その時点で手遅れだと言われたこと。(やはり、50歳の節目に野球部同期会をやるべきだった…)。。

マネージャーの実兄の奥さんが幼子2人を残して亡くなったこと。

そのわずか翌年に実母も亡くなったこと。

幼子を抱えている実兄と実母を亡くし一気に老いていく実父。

家族に自分以外の女手が誰もいなくなってしまった事で、自分は、父を支えながら、兄の子供たちを育てていくと決心したとのこと。

なので、彼女は一度も結婚はしていない。

最後のお別れの言葉。

母親代わりで育てた、今では成人を過ぎた子供2人が、遺影に向かって、感謝の言葉を言っていた。

その言葉の数々を聞いて、彼女の高校卒業以降の人生を知ることになった。

高校卒業後も人のために…の人生だったんだなあ…

根っからのマネージャーだったのか…

お世話をしていた子たちも成人をして、ようやく自分の人生を歩んでいく矢先だったのに。。

幸せだったのだろうか…

いや

きっと

幸せだったに違いない。

やっと言えたありがとう

出棺の時、最後に手を合わせて

「かなり疎遠になってしまっていたけど、野球部同期を集めてくれて、ありがとう。そして、さようなら」

ずっと言えずにいた「ありがとう」

「久しぶり」が「さようなら」とは…

人は、明日さえ、どうなるかわからない。

と言うのも、様々な方々の不幸や大震災などで身に染みているはずなのに、結局、自分の日々のことでいっぱい、いっぱいになり、何度も後悔…

会いたい人には必ず会おう!

お見送りした後に、残された同期女子マネージャーの1人が「偲ぶ会をやろうね!」と言っていた。

必ず、やろうと思う。

これで、同期野球部からは、エースと女子マネージャーの2人が、先に別の世界へ旅立った。

残された者は、生きたかった人の分まで精一杯、生きなきゃですね!

今日を後悔ないように!

懐かしいアルバムを出してきて、久々に写真を見たり、新聞記事を読んだり、亡くなった彼女の事を考えたり、自分の人生を重ね合わせたり…

あらもう朝だわ

今日も口角上げて顔晴っていきましょうね・・

~年中夢球~

この記事を書いた人
野球少年を持つ親御さんと指導者の皆様へ元気を送り続ける[年中夢球]です。 神奈川野球雑誌『ОNEDREAM』に連載中。