私は自分の教え子の高校野球を出来るだけ見に行こうと思っています。
有り難い事に子供たちからも
『初戦、○月×日に決まりました!見に来てください!』
という連絡をもらいます。
夏だけでは間に合わないので
秋の大会…
春の大会…
そして夏の大会と順番に見に行くようにしています。
何故、私が教え子たちの試合を見に行くのかと言うと・・
もちろん『応援』したいのですが
もうひとつ理由があります。
『この子たちがどう歩いてきたのかをこの目で見たい』
そう思ってグラウンドに足を運んでいます。
実際に球場に足を運ぶから見れるものや確かめられるものがあります。
横浜高校で神奈川を制した石川達也。
その石川達也を応援に行った時に・・
グラウンドに落ちていたゴミ袋をスッとポケットに入れた彼の姿は僕の中では、優勝した時と同じくらい嬉しい事でありました。
バントをリトル時代に何時間も何時間も付きっきりで練習していた選手が…
送りバントを初球で決めた。
周りから見ればただの『送りバント』かもしれませんが…
私にとっては彼からプレゼントをもらったような『贈りバント』でした。
マウンドでいつも冷静さを欠いていた選手がマウンドから皆に声をかける姿。
チームプレイをなかなかわかってもらえなかった選手がランナーコーチャーで必死に声を出している姿。
ベンチには入れなかったけど応援団として黙々と太鼓をたたいている姿。
グラウンドに行かなければ見れない姿がそこにはあります。
彼等の汗、息遣い・・
そういうものを五感で感じたいのです。
そして、そういう姿を見ると中学や高校でいい指導者さんと出逢えたのだろうなあ・・
と思うんですね。
そして・・
彼等の夏の高校野球を見に行くと
『彼等の最後の試合』
を見ることもあります。
指導者にとっては、教え子の高校野球の晴れ舞台を見ることはとても嬉しいものですが、最後の試合を見ることは辛いものでもあります。
試合が終わって・・
泣きながら挨拶に来る教え子にいつも
『あれを言おう』『これを言おう』
と思うのですが
出てくる言葉はやっぱり…
『有り難うな』
しかないんですよね。
ここまで来るのは『当たり前』のことではなかったはずですから。
小学校から続けてきた多くの子供がこの高校で一つの区切りを付けます。
その最後となってしまう試合を見れることは辛い事ですが…
野球人生最後の涙を一緒に流せることは
ある意味幸せな事なのかもしれません。
秋の大会が終わり…残りは春と夏。
今年はあと何度彼等の姿を見れるでしょうか。
~年中夢球~