今、指導者の在り方が問われている時代です。
誉めることの重要性が指摘されていますが・・
我々指導者が子供に出来ることは誉めることだけではありません。
怒るとは・・
自分の感情を振りかざし自分の言いたいように言い子供の過去に焦点を与えるもの。
叱るとは・・
子供の事を考え子供に伝わるように未来に焦点を与えるもの。
つまり・・
『怒る』ことは主人公が自分であり『叱る』ことは子供の事を考えての事です。
そう考えると叱ることは指導の一つであると言えますが・・
怒ることは指導とは言えないのかもしれません。
主が子供にあるのか・・
自分にあるのかで大きく変わってきてしまいます。
叱ることが何かとクローズアップされている今日この頃です。
ニュースでは指導者の在り方を問われる報道が毎日のように報道されています。
先日も元プロ野球選手の体罰の動画が報道されていました。
高校の先生の免許を取った時から報道されて個人的にも応援していたので・・
衝撃的でした。
ですが・・
子どもが悪いことをした時に何も言わない事も僕は責任が重いと思うんですね。
今、このように指導者が色々と報道されているのは叱り方と叱るポイントに問題があるからかもしれません。
その記事はこちらから↓
僕は指導者って言うのは・・
偉いわけでもなく・・
『指導する責任がある者』
『指導する役割を持っている者』
だと思っています。
そう考えると指導者は・・
『言いたい』ことを言うのではなく・・
『言うべきこと』を言わなければなりません。
グラウンドのゴミを拾わない選手はどうしていけないのか・・
全力疾走を怠った選手は・・
仲間を想い遣る気持ちがない選手・・
挨拶を形だけでする選手・・
こういう選手を黙っていることはこの子達のためによくありません。
ですから、私は叱ります。
言いたいことではなく・・
言うべきことだと思っているからです。
もっと言えば
『言わなければいけないこと』
だと思っています。
それは彼が野球選手としてだけでなく・・
これから生きていく上で一人の【人】として大切なことだからです。
ただ・・
その時に自分の感情をぶつけるのではなく・・
子供に伝わることを目的として話さなければなりません。
誉めることも大切ですが・・
今だからこそ、叱る大切さ、叱る所、叱り方が大切な時代のような気がします。
~年中夢球 photo buchiko~