野球というスポーツは『繋ぐ』ことが重要なスポーツです。
野球をしていく上でたくさんの繋ぐ場面が出て来ます。
守備の時の中継プレーは野球の『繋ぐ』ことの象徴的な場面です。
「相手の事を想って投る」
そして「自分の思いも込める」
中継プレーは正にその想いのプレーですね。
外野の間をボールが抜ける。
外野手は内野手のカットマンにバックホームまでの想いを込めて
『捕りやすい場所=投げやすい場所』に投げる。
その外野手の想いを受け取った内野手は、キャッチャーが
『タッチしやすい所』に自分と外野手の想いを込めて投げる。
一つのボールにチームみんなの「想い」を繋ぐ。
周りの選手は声でそのプレーを繋ぐ。
普段から憎しみあっていては想いも声も繋げないんです。
白球を繋げるとは、自分の想いを仲間に「繋げる」こと。
仲間の想いを「受けとる」ことです。
バッターボックスでも彼等は『繋ごう』と必死になっています。
何点開いていても最後まであきらめない気持ちは
「次のバッターまでともかく繋ぐ」
「あいつまで回せば何とかしてくれる」
そういう強い気持ちでバッターボックスに立っているからでしょう。
だからこそ「打点」ではなく「打線」なのです。
その線はベンチの選手にも伝わり線から大きな幹となります。
そういう信頼が『繋ぐ』意識を強くし奇跡と呼ばれるような奇跡を起こすのでしょう。
一人で点数を取れなくとも線になって繋ぐ事で野球は勝てるスポーツなのです。
果たせなかった甲子園の夢。
その悔しさを先輩から後輩へ繋ぐ。
そして先輩たちが築きあげてくれた想いも後輩に繋がれていいきます。
笑顔・・
最後まであきらめない気持ち・・
その繋がれた想いは、又、次の後輩へと繋がれていきます。
そして、それは『伝統』と呼ばれていきます。
我々指導者の指導は子供が大人になって繋がれていきます。
私たちが行っている指導が彼らが大人になり野球の指導者となった時・・
まだ見ぬ野球少年に繋がっているのです。
そう考えると今の我々の指導は未来まで繋がっているのではないでしょうか?
~年中夢球~