指導者の中ではよくこういう議論になります。
強制力か…
自主性か…。
我々世代は所謂『昭和世代』で『スパルタ』でスポーツをされてきた方が多いのでないでしょうか?
私自身も正にそうでした。
『スパルタ』や『昭和の指導』が否定的にとられる今の時代ですが、私自身、この指導からたくさんのことを教わり、今の自分を創りあげているのも事実です。
指導者になりたての頃は、このような自分の経験から『スパルタ』までは行かないまでもこれに近い方針で指導していました。
具体的には…
①指導者が指示を出す。
②指導者の意見に『はい』としか言えない環境。
③何かあると理由も聞かずに罰走などの罰を課す。
指導者の成り始めの頃は…
何の疑いもなくこのような指導をしていたのが現実です。
私の指示で選手は動き…
私の意見にはいと答え…
私に罰を課せられる。
私中心のチームだったのです。
その結果・・
子供はゲーム中に何かイレギュラーの事態が起こると誰もそれに対応出来る選手がいませんでした。
私が指示ばかり出していたので彼等は自分達で考えられない選手を私が育てていたのです。
私の前で大きな声で『はい』と言っていたのも…
彼等は意味もわからず返事をしていたこともあったはずです。
そして私に『やらされている野球』をしていたのだと思います。
その自分を受け入れるのに時間もかかりました。
でも‥
その自分の未熟さを受け入れなければ何も変わらなかったでしょうし、今も当時の指導をしていたはずです。
そこからですね…
選手達が
『自ら考えて行動する野球』
を目指していったのは。
今までは
『トンボかけろー』
『練習始めるぞ』
と言っていた言葉を最小限にして
子供が自ら考えて行動する環境を作りました。
技術指導にも変化が表れました。
今までは1から10まで教えていたのを子供に考えさせる時間と環境を作っていきました。
その中で
『問いかけ』
をする時間が増えました。
今まではキャッチャーの選手に
『何で今の場面でカーブなんだよ』
と頭ごなしに言っていたのが
『今の配球はなんでカーブだったの?』
とまずは子供の意見を聞くようにしました。
スパルタと自主性…
どちらがいいという答えはありません。
どちらがいいという極論ではなく…
この二つを融合させる指導もあるでしょう。
私は両方のパターンの指導を体験しましたが自主性を重んじることのほうが指導者としては大変です。
『お前達わかったか!』
『はい!』
と以前によく言っていましたが…
あの頃の私は子供たちのことを何もわかっていなかったのかもしれません。
自主性を重んじてやってから気づいたこと…
それは…
選手の考えを聞くので選手一人一人を理解出来るようになったこと。
選手が自ら考え動くようになったので選手自身が野球に興味を持ち始めたこと。
その結果…
チームが強くなりました。
考える選手でなければ自主性を持つことはできません。
そして、考える=自主性を持つ選手はその後の野球人生に役立つことが多いと思います。
~年中夢球 photo buchiko~