親として厳しい言葉を子供にかける時があります。
指導者として厳しい言葉を子供にかける時があります。
厳しいという漢字の中には『敢えて』という漢字が入っています。
皆さんも
「敢えて厳しいことを言うけど…」
と言ったりしませんか?
この敢えては、当然のことながら、子供を想っての敢えてでなければならないわけです。
この『敢えてがなくなると、自分の感情だけになり、
いわゆる「叱る」ではなく「怒る」というものに変わってしまいます。
自分の感情をコントロール出来ずに…
子供の気持ちを考えずに…
自分のために、自分の言いたいように、自分の感情がすっきりするために『怒る』のではなく…
子供のために、子供に伝わるように、これからの子供の事を考えて『叱る』なのではないでしょうか。
喜怒哀楽という人間の感情のなかで、この「怒」という感情が一番コントロールするのが難しいのかもしれませんね。
厳しい言葉や厳しい練習の裏返しには、子供を想ってのことでなければなりません。
そうなると、子供から見て、信頼されているかどうかがとても大切になってきますね。
それは、言葉だけでなく、普段からの指導者としての立ち姿も必要です。
グラウンドに入るときの一礼や、グラウンドに落ちているゴミを拾う、挨拶は自ら行う…
そういう姿も子供は見ています。
『俺たちには色々言うくせに、コーチはやっていないじゃないか』
と子供は心の中でそう思っているかもしれません。
そういう眼で見られてしまうと、厳しいことを言っても説得力がなく、子供も心を開かないでしょう。
野球の技術的なお手本も必要ですが、プレー以外のこういうお手本も指導者は必要なことです。
そういう指導者に言われた厳しさだからこそ、子供も聞く耳を持つのではないでしょうか。
厳しさの中に敢えてがあれば、子供に対する 言葉遣いも変わってくるはずです。
そして・・
厳しさの中に敢えてがあれば・・
それは『優しさ』になるのではないでしょうか。
本当の厳しさを持った人間は優しさを持った人間なのだと思います。
子供の事を考えずに安易に怒る指導者の方がいらっしゃいますが・・
それは、子供のことを想っている『優しさ』ではなく・・
自分の感情を容易に出してしまう『易しさ』です。
一見、反対の位置にあるように思える『厳しさ』と『優しさ』は
子供の事を想っての行動であれば、行き着く先は同じはずです。
~年中夢球~