私は出来る限り「子供たちの手」でグラウンド内のことはやってほしいと思っています。
その「子供たちの手」で出来ないことをスタッフや親御さんに「サポート」していただきたいと考えお願いしています。
低学年のキャッチボールの時…
選手の後ろにズラーッとお父さんが並んでいる姿を目にします。
エラーをした時や暴投をした時に球拾いをしてくれるお父さんたちです。
エラーをした選手を見ると…
ボールを拾いにいく様子がない。
最初から「お父さんが拾ってくれる」という意識がもう付いてしまっています。
自分でエラーしたボールは自分で捕りにいくのが当たり前です。
例え低学年の子でもボールを拾いに行くことは「自分の手」で出来ます。
というより「させなくてはいけないこと」ではないでしょうか。
こういう部分は『小さい子だから・・』ということではないはずです。
食事の用意の時にお母さんがあれこれ準備してしまう母が時々いらっしゃいます。
お箸…
自分で用意出来ます。
飲み物…
なくなれば自分でチームのジャグの飲み物を飲めます。
「飲み物ない人?」
と母が飲み物を持ってまわる必要はありません。
「自分の手」で出来ます。
グラウンド整備も高学年になれば『大人の手』を借りずに『自分たちの手』で出来ます。
グラウンド整備の記事に関してはこちらから↓
倉庫の片づけも・・
ボール磨きも・・
グラウンドまでに重たい荷物を運ぶことも・・
『自分たちの手』ですることが出来ます。
では何故『大人たちが手』を出してしまうのでしょうか?
『早い』からです。
子供がやるよりも大人がやった方が早いのはわかります。
ですが時間がかかってもグラウンド整備を自分たちの手で行うことの方が大事なはずです。
早く終われば『早く練習させてあげる』ことが出来ます。
大人が手を出すことによって次の練習に早く行ける。
子供たちにたくさん野球をやらせてあげたい。
そんな思いがあるのかもしれません。
お気持ちすごくわかります。
ですが、グラウンド整備も倉庫の片づけも『練習のひとつ』ではないでしょうか。
子供の手で出来ることを大人がしてしまうと子供はいつまでたっても受け身になります。
受け身になっている間は『自主性』は育ちません。
そして『指示待ち人間』になってしまいます。
誰かが行動してくれるだろうという考えが染みついてしまいます。
中学・・高校へと進んでいくともうグラウンド内で親が手伝えることは限られてきます。
高校になれば審判も部員が行いますしグラウンド内のことはマネージャーもいます。
だからこそ、高校生になるともう親は見守ることしか出来なくなるのです。
出来ることは家での『食事の管理』『体のケア』『心のケア』ぐらいです。
先日ある高校野球の監督さんとお話しする機会があり、こんなことをおっしゃっていました。
『夏の練習中にある親御さんがいきなりグラウンドに入って来て何の断りもなく水を撒き始めたんですよ。選手がやりますから大丈夫ですって言ったんですが・・砂ぼこりのグラウンドじゃ可哀そうでしょ。先生、遠慮しないでくださいよ・・そう言われました』
そう苦笑いされてお話しくださいました。
こういう方は『俺は子供のためにやってんだよ』と主張されますが
『子供ために何かをしている自分』が大切なのかもしれません。
何かやってあげたい・・
この子たちのために自分が何かしたい・・
そう思う気持ちはすごくわかります。
ですが『子供の手』で出来ることを大人がしてしまうと
『余計なお世話』になってしまう事があります。
子供が出来ることに大人が手を出してしまうことは真の意味の『サポート』ではないのかもしれません。
~年中夢球~