私は指導者の1年目の時に0-32という試合で負けたことがあります。
うちの選手は試合のほとんどを守りの時間に費やしベンチの中で何も出来ずに彼らに申し訳ないとただただ茫然と立ちすくんでいたことは
15年以上経った今でも記憶から消えることはありません。
その後も勝てない日々が続きました。
何故勝てないのだろう・・
何故彼等に野球を上達させてあげることができないのだろう・・
常に頭の中でそればかりを考えていました。
ノートにその『理由』を書き出したことがあります。
○自分に指導力がない
○最上学年生が少ない
○人数が少ない
○練習時間が短い
○練習場所が常に確保できない
○コーチの数が少ない
○子供の野球に対しての意識が低い
こんなことを書き出しました。
ノートをずっと眺めていると・・
『はっ』と思ったんですよね。
これは『理由』ではなくて『言い訳』だと。
『言い訳リスト』を完成させてしまったわけです。
きっと勝たせてあげれないことや野球を上達さえてあげれないことに対して
どこかでこういうことを並べて自分で『正当化』していたのではないか。
勝てない『理由』ではなく・・
勝てないことどこかで自分自身を正当化している『言い訳』だと感じました。
そういう部分の覚悟を決めない限り、負けた後にまたこういう『言い訳』をするだろうし
何よりも子供に申し訳ない気持ちでした。
最上学年生が少なくても人数が少なくても意識を変えることや練習メニューや練習方法で上達させ勝てるようにすることが出来る。
練習場所を確保するために色んな所を調べまわり一つでも多くのグラウンドが確保できるように足をあちこちに運ぶこともしました。
色んな指導者の方の話を聞き、合同練習をさせていただきたいとたくさんのチームにお願いをしました。
子供たちのために・・
という気持ちが大前提にあったことはもちろんですが
当時の私は『言い訳』する道をなくそうという意識も強かったのかもしれません。
合同練習をお願いした時に・・
ある監督さんは
『おたくがウチの練習に来てもレベルが違うから参考にならないよ』
そう言われたこともあります。
逆に・・
『ウチで参考になることがあったら使ってよ。敵味方じゃなくて野球少年には皆がんばってほしいから。だから本間さんもがんばなきゃな』
ある監督さんがおっしゃってくれこの言葉は今でも私の礎になっています。
あれから時が経ち・・
私は今50歳になりました。
何か事がうまくいかないとき・・
何か新しい事にチャレンジしようとするとき・・
私は今でもノートにそれを書き出します。
『あーこれも言い訳だな』
そう思いながら『言い訳リスト』を一つ一つクリアする方法を見つけようとしています。
その原点はあの0-32という試合があったからだと思います。
野球が・・
子供が・・
私に教えてくれたことです。
~年中夢球~