『七転び八起き』
私の亡くなった父が好んでよく使う言葉でした。
何回転んでもいい。
ただ立ち上がれ。
立ち上がった者が最後には勝つんだ。
父はよく私にこう言っていました。
幼い自分にはその意味がぼんやりとしかわかりませんでしたがこの年齢になってくると父が言ってくれた真の意味が分かってくるような気がします。
私の父は所謂『昭和の父』で厳格な人でした。
立ち上がり方はどんなに恰好悪くてもいいから
『立つ』ことに意味があると伝えたかったのだと思います。
指導者の道を歩み始めて15年以上が経ちました。
子供は時に辛い挫折を味わいます。
野球を辞めたい・・
練習に行きたくない・・
そういう思いのお子さんも残念ながらたくさんいることでしょう。
厳しいノックを受けもう起き上がれないと思うこともあるでしょう。
でも立ち上がれば次があります。
七回転んでも八回起き上ればいいんです。
起き上がることで『可能性』が生まれ…
『可能性』が出るから…
『希望』が生まれるんです。
その起き上がれない時にわれわれ大人は子供たちに簡単に手を差し伸べるのではなく
やがては自分で立ち上がれるよう見守っていきたいですね。
特守でノックを打っている時。
足がガクガクになり…
流れる汗が止まらない選手達を見ていると
「がんばれ」
と心から想います。
その想いを
「まだいけるぞ!お前はまだがんばれる!」
「こっからだ!辛いと感じているここからが野球を上手くなるとこだ!がんばれ!」
そう子供達に言葉にして・・
起き上がってもらおうとしています。
「七転び八起き」
とよく間違いやすい言葉があります。
「七転八倒 しちてんばっとう」
転んだあとにひどく苦しみ倒れる様子。
「何度やってもお前は上手くならないな!」
「野球に向いてねえんだよ!」
何度やっても上手くならないから練習するんです。
野球に向いている向いていないは関係ありません。
こういう言葉に子供自身が強くならなけれぱいけないのも事実です。
ですが…
傷つきやすいこの年代は心ない言葉に
「七転八倒」
してしまうことがあります。
愛情のない叱咤激励は
罵声となり子供を起き上がらせないようにする
「七転罵倒」
になりうる可能性があります。
厳しい言葉に愛情があるのかないのかは子供はわかっています。
彼等は挫折をします。
挫折は自分を大きく変えてくれるチャンスでもあります。
我々指導者や親は…
その「七転」している子供に時には大人の手を借りながらもやがては「自分の足」で起き上がれるように「七転び八起き」の大切さを教えてあげるべきなのです。
「七転」している子供に「罵倒」し「七転八倒」にすることを目的としてはいけません。
転んだあとに…
起き上がらせるのか。
倒すのか。
指導者の大きな違いがでる所だと思います。
~年中夢球~