昨日通りかかった道で少年野球をしているチームを見つけました。
少年野球の練習をしているのを見るとついつい足を止めて見てしまいます。
部員の数は10名ちょっとぐらいのチーム。
ちょうどノックの最中でした。
しばらく見ていると一人の子がなかなボールが捕れずにいました。
捕れずに…
というよりは野球をやり始めたばかりなのか捕る形になっていない…
そんな感じの子でした。
それでも彼は必死に必死にボールに喰らいつき
見ている僕も心の中で
「がんばれ!」
そう応援していました。
この彼に
「おい!やる気がないなら辞めちまえ!」
「お前のせいで負けるんだよ!」
指導者の方がそう声を荒げていました。
叱咤激励だったのかもしれません。
ですが・・
一球一球ボールに喰らいつく姿はやる気がないようには見えなかったんですね。
そのコーチの方は
「おい!みんなで下手くそって言ってやれ!そう言ってやることがコイツのためだ!」
そう続けました。
「しっかりやれよ!やる気あんのかよ!」
「やる気ないならグラウンド出ろよ!」
本心なのか…
コーチに言われたのかはわかりませんが
他の選手たちが
その子を「口撃」し始めました。
その子を見ると…
肩が震えているのがわかりました。
私も
「グラウンドから出ろ」
そう言う時があります。
ですが…
それは手を抜いた時の言葉に使う言葉です。
チームの約束ごとを守らなかった時。
全力疾走を怠った時。
人の目を見て話を聞いていなかった時。
出来る出来ないではなく…
やろうとしなかった時。
そういう時に周りの選手が
「どんまいどんまい」
と言った時に
「本当にどんまいなのか?手を抜いたプレーをしたアイツが公式戦の最後に同じプレーをしたらお前たちはどんまいと言うのか。それで最後の試合が終わってお前たちは納得するんだな?どんまいじゃねえよ。そこはしっかりやれよ!でいいんだ。」
そう言います。
「それはどんまいじゃない」の記事はこちらから↓
出来るのにやろうとしないのと
やろうとしているのに出来ない。
我々指導者はそこをしっかり見てあげる「眼」が必要なのだと思うんです。
エラーをしたから…
三振をしたから…
そのエラーや三振は
出来なかったのか…
やらなかったのか…
そこは大きな違いです。
それを指導者がどう見るかは
更に大きな違いです。
そして…
子供たち同士の信頼関係を作ること。
信頼関係が子供たち同士であれば
それは「悪魔の囁き」にはならないはずです。
子供同士の信頼関係がまだ構築されていないのに
「下手くそと言ってやれ。それがアイツのためだ」
そんな言葉を言っても何も生まれません。
子供同士の前に…
指導者とその選手の間に信頼関係も必要でしょう。
「お前は仕事が出来ない。みんなで言ってやれ!それがアイツの為だ」
職場でそんなことがあるでしょうか?
ノックを受けていたこの彼に
選手の一人が彼の背中をポンポンと叩いていました。
わかってくれている仲間がいる。
「がんばれ!」
そう思ってグラウンドを後にしました。
~年中夢球~