~ありがとう~
野球が出来る事が当たり前だと思っていた。
仲間と一緒に野球が出来ることが当たり前だと思っていた。
母がお弁当を作ってくれることが当たり前だと思っていた。
父が送迎してくれることが当たり前だと思っていた。
このグラウンドで汗をかいたこと・・
みんなで涙を流したこと・・
何気ないグラウンドの光景。
高校3年生にとっては、その「当たり前」が「当たり前」でなくなってしまった今。
高校野球最後の日に・・・
「当たり前」だと思っていたことが、実は「有り難い」ことだったと気づき、親御さんに「有り難う」という感謝の気持ちを持ったはずです。
当たり前ではない・・
全ては有り難しこと。
『有り難し』の反対は『有り難う』
今まで当たり前だったことは有り難しことだったんですね。
そして、それは親御さんも一緒です。
子供が高校まで野球をしてくれてきたことは「当たり前」ではなく「有り難し」ことだったと感じ、色々な想いが交錯していることと思います。
子供さんにとっても親御さんにとっても高校3年生まで野球を続けてきたことは「当たり前」のことではなく「有り難し」ことだったのではないでしょうか。
「野球が好き」と言うことは簡単ですが「野球を好きでい続ける」ことは大変なことだったはずです。
だからこそ、高校野球最後の日に、親御さんは子供さんに「有り難う」
子供は親御さんに「有り難う」
この夏もたくさんの「有り難う」があったはずです。
高校野球最後の日。
今まで親子で歩んできた道。
少年野球・中学野球・・
そして高校野球。
いろんな場面が頭をよぎったはずです。
涙が止まらくて・・
言葉に出しても出さなくても・・
笑顔でも涙顔でも・・
たくさんの「有り難う」が溢れたはずです。
そして、その日に親御さんもお子さんも・・
心から【感謝】という意味を知るのだと思います。
感謝・・謝意を感じると書きます。
言葉で言われるものではなく自分が感じるもの。
高校野球を最後までがんばったからこそ、本当の意味の感謝を感じることが出来たはずです。
私の娘もマネージャーとしてこの夏に「じぶん史上最高の夏」を終えました。
彼女は試合終了後に涙を流しました。
その「溢れる涙」は3年間の「溢れる想い」だったのでしょう。
娘に心から「有り難う」です。
この夏…
「じぶん史上最高の夏」を終えた高校球児の皆さんに・・
最高で最光の夏を「有り難う」
感謝です。
同じ夏を過ごさせてもらって
「有り難う」
99回目の君達から100回記念大会の孝行球児にかかる「栄光の架け橋」はしっかり架かったはずです。
~年中夢球~