リトルリーグや中学野球・クラブチームではこの夏が最後の季節でもあります。
そして高校野球も・・
横浜高校の翔太・沖縄に渡って野球をすることを選んで興南高校に進んだ星瑛。
この二人が今日甲子園で敗れ、この年代の私の教え子の夏は全て終わりました。
二人ともベンチには入れませんでしたがスタンドの「応援プレーヤー」として立派に最後を終えました。
甲子園の2試合目と3試合目…同じスタンドで終わったことに「縁」を感じます。
このふたりの学年はヤンチャな子が多く手を焼いていたイメージがありますがリトルの最後には本当にいいチームになっていました。
少年野球や中学野球・・そして高校野球・・
振り返ってみた時に
お子さんがが手に入れたものは何だったのでしょう。
友情・信頼・絆・想い遣り・最後まで頑張る大切さ・感謝・・・
どれも目に見えるものではなく「心」で感じ取ったものだったのはずです。
私は挨拶を形でやるなと彼らに言い続けてきました。
「心」で挨拶をしなさいと言ってきました。
大きな声で挨拶をすることが目的ではない。
グラウンドを使えることへの感謝。
野球ができることへの感謝。
大きな声で挨拶をすることを考える前に、そういうものに感謝をして心で挨拶をしなさいと言ってきました。
道具をひとつに綺麗に並べることも・・
見た目が綺麗だからではない。
道具をひとつに並べることによってチーム皆の心を一つにするために道具は綺麗に並べなさいと言ってきました。
「形」ではなく「心」で道具を綺麗にするように言ってきました。
目に見えたものではなく、形でやったものではなく
心で感じ取れたものだからこそ・・
それは『かけがえのないもの』になったはずです。
かけがえのないものだったからこそ『かけがえのない時間』でもありました。
そういう気持ちで仲間と野球ができたからこそその「縁」は一生続いていくのです。
約束もせずに毎日会えたことは一生の思い出として君たちの心に残っていきます。
共に心で繋がってきたからこそ「共の心」は「心の友」になっていきます。
少年野球や中学野球や高校野球の『ゴール』を迎えたということは何かが『スタート』をするということになります。
これからの『未来』も目に見えるものではありません。
ですが、野球を通して『心』で感じ取ったものを手に入れた君達には明るい未来があるはずです。
それでも、つまずいてしまいそうな時は・・
『心』で付き合ってきた仲間や恩師の元に帰ればいい。
形ではなく心で野球はするものです。
野球の「心構え」は「心が前」です。
「形」だけでやっている子、「心」で野球をやっている子・・
高校野球の最後の日に感じ取れるものが違うはずです。
翔太・星瑛・・
長い夏をありがとう。
この年代の14名の夏が終わりました。
ですが、心の友は一生ものです。
~年中夢球/photo buchiko~