シートノックも・・
全て試合に出てくる一部分を再生しているものだと思うのです。
すべての練習が試合に繋がっているという意識を持たせなければなりません。
練習でミスが出てヘラヘラ笑っていれば
試合でもきっとそのミスは出てしまうでしょう。
指導者がそのミスを一緒になって笑ってしまえば、試合の時にだけ怒るなんてことはしてはいけないのです。
「練習通りでいいぞ。』
「練習でできないことは試合で出来ないぞ」
指導者の皆さんもこのような言葉をかけることが多いと思います。
最終回、一打、サヨナラ負けの場面で・・
自分の守っているところに打球が飛んできました。
この場面だから、大事に行こうとする選手・・
ともかく後ろにそらしてはいけないと捕球より止めに行くことを考える選手・・
こういう選手に僕は必ず言います。
『練習通りか?今のプレーは?』
「どんな緊迫した場面でも必ず練習通りの捕り方をしなさい。冬練で、何度も何度も、形・ステップの基本練習をして、それを、体に染み込ませるために、何百本、何千本の球を、ノックで受けてきたんだよね?それを、緊迫した場面だからといって慎重にやろうと思って捕り方を変えてしまったら、今まで長い間やってきた練習の意味は何だ?こういう場面でも同じ捕り方をするために、長い間、練習してきてんだよな。』
そう選手に伝えています。
公式戦の最後の大会で練習通りのプレーが出来るのかどうかなのです。
もっと言えばメジャーのステージまで選手を育ててきてくれたジュニア・マイナーのスタッフもいます。
小学校1年生から野球を続けてきた子にとっては6年間分の練習がその1球にかかっているわけです。
その1球の捕り方を変えてはいけない。
子供にそう話しています。
そして、慎重に捕ろうとする子ほど、やっぱり、エラーしてしまうんですよね。
いつもと違う事をやっているわけですから。
そして、後悔するぞと・・・
いつも通りでエラーしてしまったら、それは、仕方ないんですよね。
ですが、いつも通りではない捕り方でエラーしたら・・
そういう意味も込めて必ず試合前に言います。
『練習通りでいいぞ。』
だからこそ、指導者は練習の質を上げていかなければいけないと思うのです。
練習で出来ないことは試合で出来ませんから。
だからこそ「試合のための練習」であり「練習のための練習」ではないのです。
「練習をこなすな」
と彼らに言います。
こなすことを考えているのは間違いなく「練習のための練習だ」と。
指導者からすると「練習のための練習メニュー」や「練習のための雰囲気作り」が前提になってはいけないのだと思うのです。
そのために必要なことは「緊張感」なのではないでしょうか?
練習は「試合の一部を再生するもの」だと思っているんですね。
練習中に修正できなかったことが試合に出てしまう・・
それは、練習で修正できなかった私のほうに責任があるのです。
そして、嫌な気持ちになるのは子供なのです。
引きずってしまうのは子供なのです。
「練習通りでいいぞ」と試合前に言うのであれば、その「練習内容」が指導者に問われるのです。
だからこそ試合前にこの一言を言うのには「覚悟」が必要なのです。
~年中夢球~