父と子。
少年野球・・中学野球・・高校野球と・・
その 関係は変わっていきました。
野球を通して父子の関係も変わっていったはずです。
『親』という漢字は木の上に立って見ると書くというお話をさせていただきます。
そして、その見守り方が大切だと講演会でお話させていただいています。
少年野球のお子さんを持つご両親の場合『見守る』というのはどちら方というと母親の役目であり、父親は『認める』という役割が強いのではないかと思っています。
子供からすると『がんばっているのにお父さんは認めてくれない』
父親からすると『まだまだがんばれるはずだ』
そして、そんな思いから厳しく当たってしまい、父子が衝突を起こすこともあるでしょう。
そして、小学生・中学生・高校生と進んでいくと父と子は微妙な距離関係になってくることがあります。
でも・・
高校生にもなるともう本当は心の中で『認めている』のだと思うんですよね。
辛いことがあってもここまでがんばってきた息子を。
息子・・
『自分の心の子』と書きます。
心では認めているけど、なかなか言葉で表せない。
それが父子なのかもしれません。
同じユニフォームでグラウンドに立っていた。
グラウンドではコーチと選手。
我が子だからとグラウンドで厳しすぎたかな・・
と父が反省することもあったな。
反省会は決まってお風呂で・・
お風呂を出る時に父子に戻っていたあの頃。
同じユニフォームでグラウンドには立てなかったけど、
審判や草むしり・・
我が子が使うグラウンドでお手伝いをすることだけでも充実していたあの頃。
行き帰りの車が唯一の会話できる場所だったけど・・
疲れて寝ていたり、年頃のお子さんと少しずつ会話がなくなっていったりもしますね。
「男」と「男」を意識してしまい少しずつ会話がなくなっていくのも頃が多いのではないでしょうか。
もう同じグラウンドに立つことも出来なくなり、
スタンドからしか我が子の野球を見ることが出来なくなりました。
でも・・
小学生から高校生までずっと変わらなかったことがあります。
野球をしている我が子『見る場所は』違っていても、父はお子さんの「野球」をずっと見てきたこと。
それだけで、父は幸せだったはずです。
そして・・
その『見る』ことも最後になる高校3年生の夏。
高校野球の最後に息子が咲く場所は、スタメンではないかもしれません。
ベンチなのかもしれないし、スタンドなのかもしれない。
だけど、お父さんは、我が子だけに当たるスポットライトをしっかり見ている。
高校野球最後の日こそ、我が子を「見て心に留める」
その「見留める」が本当の意味で我が子を「認める」日になるのかもしれません。
高校野球最後の日に
父と子の葛藤・・
色んな事があったでしょう。
たくさんの壁を乗り越えてやってきた高校野球最後の日だからこそ、父子にわかりあえるものがあるはずです。
高校野球最後の日に父子で今までの道を振り返ってみてください。
後ろに引き戻ってはいけないけど・・
時には後ろを振り変えるからこそ前に進めたことがあったはずです。
あの時・・
乗り越えられないと思った壁は、乗り越えたからこそ親子を守る『砦』に変わり父子を守ってくれました。
高校野球最後の日に・・
お互いになんとなく照れくさくて言えなかった事が、認めているのに言葉で出せなかったことが言えるのかもしれません。
仮に涙で言葉が出なかったとしても・・
「高校球児」が「孝行球児」になった日に父子の関係は認め合うはずです。
~年中夢球~