親に見られているから・・
素振りをする。
言われたから・・
自主練をする。
幼い小学生ですから・・
なかなか自ら自主練をすることは難しいでしょう。
ただ・・
親が見ているから・・
親に言われたから・・
こうして行う練習では効果が薄くなってしまいます。
もちろん中学や高校に行っても・・
ティーを上げたりして一緒に練習することもあるでしょう。
しかし・・
どこかのタイミングで一人で自主練習をする子にしなくてはいけません。
言われてやるのは【言われ練】であり・・
見られているからやるのは【見ら練】になってしまい・・
自ら主人公になって行う【自主練】にはならないのです。
人から言われて行うのは・・
目標とは言わずノルマです。
ノルマになるから嫌になって続かなくなっていくわけです。
私は息子がリトルを卒団した時にこう言いました。
『明日からはもう一人で素振りしな。俺が見ていたら振るだろ?誰も見ていない時の姿が本当の自分の姿だぞ。』
と・・。
そして・・
『それが高校野球には全部でるよ。』
とも・・。
もちろん彼からバッティングを見てくれとかティーを上げてくれと言われればやりますが・・
見ることが目的の素振りは効果がないと思っていたのでそう言ったわけです。
親が自主練習に付き合うのと・・
親が見張り的な役割で自主練を見るのでは全く意味が異なります。
子育ても同じですが・・
最終的には自らの意思で自らが行動することが大事です。
もちろん成長や学年差はあります。
親はどうしても子供との距離を近づけようとしますが・・
時には親から距離感を取ることも大切なことです。
それが結果的に・・
子供とのいい距離感を取ることもあります。
監視の意味での自主練をすることに多くの時間を使うのではなく・・
どうやったら自主的に練習をすることを考えていくことが・・
子供のためになります。
~年中夢球~