少年野球~高校野球 野球少年の親と指導者のブログ

明秀日立のマネージャー(杏璃さん)を支える母の存在

選抜高校野球大会に出場していた明秀学園日立(茨城)の新3年生で、宮城県大崎市出身の田中杏璃さん。
マネジャー兼副主将として甲子園に出場しました。
初の8強はなりませんでしたが素晴らしい戦いでした。

私の娘が高校生でマネージャーだった頃、関東大会に明秀日立さんが出場した時に・・開会式で明秀日立さんのプラカードを持っていたのが私の娘でした。それから私もずっと明秀日立さんを応援しています。

杏璃さんのお母様の友紀美さんにお話を伺ってみました。


★野球を始めたきっかけは?


兄が少年野球をやっていて、週末になると兄の野球ばかりで私達の関心が全て兄に集中していると感じていた時に
祖父から【野球をやってみないか】と誘われ、野球をやったら私達が自分を見てくれるかもしれないと思ったと本人から聞いてます。
最初は反対しました。
兄とは違うチームで父はボーイズ。私一人で送迎など厳しいと思ったからです。
でもチームの保護者の方々や監督に支えていただき、送迎など手伝って頂きました。
この頃の経験から【自分は野球をするのではなく支える側に⠀】と決めた様です。
 
 
 
★小学校はどんな子?

何事にも動じない強い子のイメージ。
一言で言うと活発女子。
性格は男の子って感じでした。この先大丈夫かなと思うくらい(笑)
1度名古屋の親戚の所に、兄と2人で夜行バスで行かせた時は、兄をリードしてしっかり連れて行ってました。
朝起きると【ママ お弁当作っておいたよ⠀とおかずとラップでくるんだおにぎりに笑顔が書かれていて感動したのを覚えてます。

★中学校の頃はどんな子?

中学に入ると変わり始めました。
性格もファッションも女の子らしく、ON、OFFの切り替え、人との接し方などボーイズでの1年目は様子見の1年。
何も分からず手探りで ボールの補修、スコアの書き方、野球の細かいルールなど自分で勉強していました。
2年目はマネージャーとして本格的にやり始めた頃。
周りから【マネージャーなんていらない⠀】と言われたこともあって落ち込んでいた時もあります。
この時の目標は【周りに認めてもらいたい⠀】祈願祭の時に今年の目標を1文字で書くというお題に【認】と書いていました。

3年目はマネージャーとしてやるべき事をこなし、本当に周りの人に恵まれた1年だったと思います。
全国大会に一緒に行った時、皆が【⠀あんちゃん、あんちゃん】と優しく接してくれて、コーチから【日本一のマネージャー ありがとう】の手紙に2人で泣きました。
あまり見にいってあげられなかったので、私の知らない所で必死に頑張って認めて貰えたんだと実感しました。もっと行ってあげればよかったと後悔しています。
 
★茨城に行く時のお別れの言葉は?

入寮当日の朝、洗面台で支度してても涙が出てくる。見せまいと我慢。
可愛がってる猫に【バイバイ。次帰ってくるまで元気でね】と話しかけている後ろ姿が目に焼き付いています。
玄関先には友達が見送りに来てくれて、泣いてるその姿を見てもらい泣きしました。
実はあまり実感がなかったんです。本人も明るく【頑張るわ】って
【⠀頑張るんだよ。いつも1番の見方で見守ってるからね】とハグをして見送りました。
兄が居たので安心感があったのだと思います。
 
★離れて暮らす母の気持ち

入寮してから本当に家の中が静かすぎるとジワジワ寂しさを実感。
先輩や友達とトラブルなど色々あった時は話をしますが
ある日娘から【ママ ふとした瞬間に泣きたくなる事がある】とLINEが送られてきた時は、心が押しつぶされそうな程、何もしてあげられない事にもどかしさを感じます。
いつも心配させまいと大丈夫だよと。
そんな時は好きな物を詰め込んで手紙を添えて荷物を送るくらいしか出来ません。
1つ1つ乗り越えて欲しいと思っています。
 
★帰省した時はどんな娘さん?どんな事を話す?

とにかく明るい。代わる代わる友達が遊びにきます。帰ってくる時は必ずお土産を買ってきてくれます。ピアスとかお気に入りのグラスとか。
家で必ずやる事はスイーツ作り。
【ママ 明日会社に持っていってね⠀】と夜遅くまで作ってくれたり、仕事から帰ると夕飯が出来てたり。
【今日はどこ行く?⠀】と一緒に買い物に行くのが楽しみで、あっという間に時間が過ぎちゃう。。。
帰ってきて話すのはやっぱり野球の事で、チーム状況だったり、練習方法を父が聞いていたりします。
学校であった事や誰かに差し入れを貰った時などはその都度連絡が入ります。
帰る時は置き手紙を隠していったり、見送った後にLINEとかくれるんですが、実はそれ見て車で1人泣くんです。
やっぱり寂しいです。
★今娘さんに思う事

私が持っていないものを沢山持っているので、それを活かして将来の目標を決めて欲しいなと思ってます。
今まで本当にたくさんの人に支えてもらって今の杏璃が居るので、少しでも恩返し出来たらと思ってます。
2年前兄の甲子園中止の決定の時、一番近くで兄の姿を見ていて辛かったはずなのに
いつも【ママ大丈夫?⠀】って気にかけてくれて、たまにはね自分優先でいいんだよと言いたいです。
あの時の3年生の分までと甲子園を目標に掲げ【ぱぱ まま 絶対甲子園に連れていくからね⠀】の置き手紙通り有言実行してくれました。誇りに思います。
嫌な事があっても、支えて応援してくれてる人は必ず居る。
いつも1番の見方で見守ってます。
 
★また夏に・・
 
中学からマネージャーになりたいと決めた1少女の決断。
そして・・それを見守ってきた母。
周りに認めてもらいたい。
支える側になりたいという杏璃さんの想いは届き・・
副主将として甲子園まで・・。

テレビで彼女の姿を見た方もたくさんいると思います。
人を応援するということは損得ではありません。
私の娘もマネージャーをしていましたが・・
マネージャーは野球が好きなだけでも出来ません。
誰よりも部員のことが大好きで・・
部員もマネージャーのことが大好き・・
それがマネージャーになる条件のような気がいたします。
 
又・・夏に彼女の笑顔が甲子園で見られますように。
 
~年中夢球~
 
この記事を書いた人
野球少年を持つ親御さんと指導者の皆様へ元気を送り続ける[年中夢球]です。 神奈川野球雑誌『ОNEDREAM』に連載中。