少年野球~高校野球 野球少年の親と指導者のブログ

少年野球 彼がイチローになった日

彼は小学校4年の終わりに入団してきました。

私のチームでこの学年で入団してくる選手は移籍をしてくる選手が多いのですが・・

彼は全く野球経験のない選手でした。

野球経験がない彼が入団してきました

硬球を握らせるのは怖い。

一緒に練習をさせるのは危ない。

そんな周囲の声も聞かれました。

そして5年生になり私の指導するメジャーのクラスに彼は上がってきました。

当時は5・6年生だけで30名近くの大所帯。

その中で野球未経験の彼がスタメンの座を取ることはかなり厳しい状況でした。

私は指導者として「子供の可能性」を見いだし

それが「希望」となり野球を続けてくれればと思っています。

彼の希望は『足』でした。

私が今まで見た中で1番足が早かったのが彼です。

私がノックをして打ち損ねて

「あっ!わりい!」

と言った時に彼はもうボールに追いついているんです。

当時は捕れませんでしたが・・(笑)

僕・・ナニローですか?

バッティングでは左バッターに転向させ来る日も来る日もセフティバントの練習をしました。

2時間・・3時間・・付きっきりでバント練習をしたこともありました。

当時メジャーリーグでバリバリに活躍していたイチロー選手のようなプレーヤーになることを目標にしてはどうかと彼に話をしました。

彼も相当努力をしたのでしょう。

守備もバッティングもスタメンを取る選手に変わっていました。

セフティバントは相手がバントとわかっていてもセーフになるくらいの技術も付いてきた頃・・

そんな彼が練習の終わりになると僕に毎週こう聞いてきます。

『僕、イチローみたいになってますか?』

私は

『んー・・まだ【たこさん】だな』

と言うと

『どういう意味ですか?』

と彼。

『たこ八郎だ』

と答えると

『知りませんから』

と笑っていた彼。

彼とのその会話は毎週のように続きました。

『まだ野口さんだな(五郎)』

『まだ伊東さんだな(四郎)』

彼はその有名人の名前を知りませんでしたが

『今、ナニローですか』

と毎週楽しそうに私に聞いてくれました。

彼らの代の最後の公式戦の練習の時に

『本間コーチ、今、俺、ナニローですか?』

と彼が聞いてきました。

『そうだなー坂上さんかな(二郎)』

と答えると

『まだイチローになれないっすか!』

そう笑っていました。

ツーアウト満塁で彼に打席が・・

翌日の公式戦で・・

この頃の彼は一番を打つまで成長していました。

ヒットの半分はセフティバントです。

試合終盤・・

1点劣勢で彼にバッターボックスが回ってきました。

ツーアウト満塁。

3塁ランナーは足が速くない選手。

僕は悩みました。

セフティーをしてもホームでアウトにされる可能性。

その上満塁なのでタッチプレーもない。

僕は彼を呼びました。

『幸希・・すまん。代打でいく』

そう告げると

『はい!』

そう言って

『〇〇!頼むぞ!』

と代打の選手に声を掛けてくれました。

代打で行くぞ・・

そう言った時に僕を見る彼の眼差しを今でも鮮明に覚えています。

心の中では悔しいです。

代えないでくれ・・

そういう眼でした。

彼の代打だった選手は強烈なライナーを放ちましたが相手選手のファインプレーに阻まれました。

試合も・・

敗退し彼らのチームにとってはリトルリーグ最後の試合となってしまいました。

この写真がその時のものです。

彼も写っています。

イチローになった日

最後の試合終了後に・・

僕は一人一人に声を掛けます。

この日も・・

まだ泣きじゃくっている彼等一人一人に声を掛けました。

彼に声を掛ける時・・

『おい・・今日は僕はナニローですか?って聞かないのか?』

そう言いましたが彼は泣きじゃくっていました。

『野球を始めたのが遅かったのによくここまでがんばったな・・イチロー!』

彼は一瞬僕の顔を見て・・

それから言葉にならずに何度も何度頷いていました。

あれから8年・・

あそこで彼に代打を送らなかったらそうなっていたのか。

たらればのない世界ですが・・

時々そんなことを思い出す事があります。

~年中夢球~

この記事を書いた人
野球少年を持つ親御さんと指導者の皆様へ元気を送り続ける[年中夢球]です。 神奈川野球雑誌『ОNEDREAM』に連載中。

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